空に浮かぶ森【6】

 「だーかーらー、あたしはセレニティじゃないんだってばぁ」
ジュピターの肩に顎を乗せ、後方を歩くヴィーナスに既に何度繰り返したか分からない言葉を吐いて訴えかける。発展性のない問答に痺れを切らしたマーズの号令一下、ジュピターに問答無用で抱え上げられ今に至るわけだが、一歩だって自分の足で歩いていないのにも関わらず、うさぎの顔には疲れが滲んでいる。
「プリンセス、御冗談も過ぎるとあたしだって怒りますよ?」
にっこりと微笑みながら、怒る気配などまるでないヴィーナスが言う。
「あのね、美奈子ちゃ……じゃなくてヴィーナス? あたしは冗談なんか言ってないんだってば。この眼を見てよ。髪も。色が違う筈だよ」
「瞳の色が違うのは当然じゃないですか。髪の色は……前にも一度、木の実を潰して染めたことがありましたね。またあれと同じ手口でしょう?」
「……そんなことしたっけ……? って、瞳の色が違うのは当然ってどういう……」
「ヴィーナス」
さらりと言ったヴィーナスの言葉に疑問を感じ問い返そうとしたとき、飛行し、空から森を見渡していたマーズとマーキュリーが降りてきた。マーズは深刻そうな面持ちでヴィーナスに声を掛け、それからヴィーナスも何かを察したかのように頷くと、うさぎに一度微笑んでから、少しだけその場を離れて歩いた。
ジュピターとマーキュリーも、2人と距離をとるように歩調を早める。うさぎは、多分自分に会話を聞かれたくないのだろうと察し、なにも言わずにジュピターの胸にもたれかかった。説得は諦めるしかない。彼女達は、完全に自分をセレニティだと思っている。

 「で?」
「察しはつくと思うけど、良くない報告よ。……上空から見る限り、この森に終わりはない」
「終わりがないって?」
「言葉通りの意味。これ、普通の森じゃないわ。マーキュリーが言うには、水の途切れる場所も流れ着く場所もない……つまり、循環しているそうよ。」
「……それじゃ、歩くだけ無駄……ってことか」
「そう言うことね」
良くない予想が的中し溜息をつくヴィーナスに、マーズが妙に達観したような表情で頷く。
「それはさておき」
「さておけるような問題?」
「敢えてさておくのよ。で、あの方の様子は?」
達観した表情のまま、マーズが目線でジュピターの背中を指す。位置関係の為見えないが、彼女に抱えられているうさぎのことを指しているのだろう。
「今回はやけに手の込んだ悪戯に見えるけど」
「……んー、判断に困るわ。いつもの悪戯や冗談とは、ちょっと違う気はするけど、言ってることはどう考えても冗談でしょ?」
「性質の悪い、ね」
「はは、悪すぎよ。仮にあれが本当にプリンセスじゃないとしたらオオゴトだもの。それに、あの方の額のクレッセントは……」
気楽な調子で言ったヴィーナスの言葉が、途中で不自然に停滞する。マーズの表情も、何かに反応したようにぴくりと歪んだ。
「額のクレッセント……?」
「額の……。……あった? 三日月形の紋章(クレッセント)。」
「……………………」


 「静かね………眠ったの?」
「かな?」
様子を伺うマーキュリーに、ジュピターが腕の中の少女を抱え直しながら首を傾げる。
うさぎは起きていたが、寝たふりを決め込んだ。自分のことを誤解している彼女達に現状での説得は不可能。となれば、微妙に会話の成立しない相手と気まずいやり取りを続けるより、事態が展開するのを待った方がいい。
(みんなは大丈夫かな……)
心に浮かびあがる不安に、知らず知らずのうちにジュピターのその柔らかな胸に額を強く押し付けた。彼女からは、まことと同じ匂いがした。ああ、薔薇の香りだと、うさぎは少しだけホッとする。
「……あのさ、これ、さっきから言っていいかどうか悩んでたんだけど。」
不意にジュピターがあらぬ方向を見ながら呟く。マーキュリーは正面を見据えたままで即答した。
「貴女の場合、悩むより言った方が早いわ。それをヴィーナスたちにも言うべきかどうかは、私が判断してあげる」
「…………じゃあ言うけど……早まるなよ?」
「早まる? 私が?」
「ああ。マーキュリーって、ちょっと融通が利かないところがあるから」
「……貴女に言われるとは思わなかったけど……。まあ、そう言うなら“早まらない”ように努力するわ。だから早く言ってちょうだい。あっちの話し合いも済んだみたいだし」
言ってちらりと後方の2人を見る。その表情は遠目にも、なにか穏やかでないものを感じさせた。どう話がまとまったかは知らないが、これ以上状況を混乱させない為にも、問題はひとつひとつ迅速に片付けていく必要があると、マーキュリーはジュピターに先を促す。
ジュピターはためらうように一度口を閉じたが、それでも意を決し、小さな声ながらはっきり言った。

「この子、本当にプリンセスじゃないかもしれない」



2003年01月09日(木)
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