空に浮かぶ森【3】

 思わず泣きそうになるのを、必死で堪えた。
いつも面倒なことは全部考えてくれて、あとで分かり易く教えてくれたブレーンもいない。自分で考えなくては、なにが起こったのか。
「……えっと、今日は居残りもなかったし掃除もなかったから、みんなで一緒に帰ったんだよね。それで、本屋さんのそばでレイちゃんに会って、一緒にクラウンに寄ろうって……話してて……それで…………それで」
ほんの少し前まで展開されていた、いつもと変わらない日常的な出来事を思い出すほど、今の自分の立場を自覚してまた泣きたくなった。
「それがなんでどうしてどうなってこんなことになってるのよー!」
零れそうな涙を誤魔化すために、自棄気味に叫んだ。けれど彼女の声は森に吸い込まれ、木々も岩も、そこから微動だにしない。来た時のように唐突に、もとの場所に返してくれそうにはなかった。
揺らぐことのない確かな存在感を持った森は、とても夢のようには見えなくて、制服の隙間から滑り込んでくる柔らかい風もこれが現実だと教え込んだ。
「……誰か、いないの? ねえ、誰もいないの?」
頼りない足取りで歩き出したうさぎの耳に、複数の慌てた足音が聞こえてきた。
「みんな!?」
期待を込めて振り返ると、数メートル先の木立の影から水を弾く音が聞こえ、見慣れた4つの人影が覗いている。
「居たわ、こっちよ!」
「流石、あんたのカンは本当に正確だな」
後続に声を掛けながら飛び出して来たのはマーズ、半歩くらいの遅れでそれに続いたのはジュピターだった。うさぎは、2人がなぜ変身しているのかと言うことを考える余裕もなく、ただその姿に喜んだ。更に一瞬遅れて姿を確認できたのはマーキュリーで、四つ並んでいた筈の人影はそこで途切れている。
「みんな……良かった……!」
うさぎが、駆け寄る仲間たちとの距離を縮めようと自ら足を踏み出した瞬間、もの凄いスピードで頭上から何かが落ちてきた。それは落下の速度を緩めることもなく静かに地面に着地し、目で輪郭を捉えるよりも早く、うさぎに飛び掛り、その体も視界も覆い尽くした。
「……はやっ!」
視界を塞がれ状況が理解できず、硬直したままパニックに陥るうさぎの耳に、ジュピターの驚愕した声が遠くから響く。その声にかぶさるように、距離感が失われるほど近くで聞こえた声で、うさぎはハッとなった。
「………良かった…………本当に、良かった……」
小さな振動と共に頭上から落ちてきたのは、聞き覚えのある声だった。それが理解できた瞬間、密着しているのは、視界を覆うのは、背中に回されているのは、人のものだと言うことに気付いた。
「あんたねー、いったい誰が見つけたと思ってんのよ」
気付いた瞬間に、うさぎからソレを引き剥がしながらマーズが言った。少し距離が離れたところで改めて見ると、予想通り、うさぎに抱きついていたのはヴィーナスだった。
「あら、失礼」
「まったくよ」
「2人とも、そんなことでもめてる場合じゃないでしょう?」
険悪に視線を弾く2人のあいだに、マーキュリーが割って入る。が、それでも2人のムードは変わらない。呆れた表情でそれを一瞥してから、ジュピターがうさぎに向き直った。戸惑ううさぎに優しく微笑んで、少し身を屈めながらその手を取り、顔を覗きこんだ。
「大丈夫でしたか? 怪我はないようですが……どこも痛くありませんね?」
「――――え? う、うん。大丈夫だよ」
何かがおかしい。
流石のうさぎでもそれは理解できた。パニックに陥っていた脳が冷静さを取り戻すほど、その違和感は濃くなっていく。
観察するように、眼の前の人物を見た。
変身してはいるが、ほとんどの点に置いて彼女は、自分の友人のそれとまったく同じに見えた。と言うよりも、同じ輝きを感じる。
優しく穏やかな微笑みと、夏の木の葉のように明るい碧の髪の色と、エメラルドグリーンの瞳。
「……あれ?」
(そんな色だったっけ?)
確か、変身後も前も、彼女は明るい茶髪に、緑がかった瞳の色だった気がする。思いながら、他の三人もよく見てみた。
マーキュリーは目が覚めるほどという表現の良く似合う、はっきりとしたブルーの髪と瞳。自分の記憶が確かなら、もっと深みのある藍色の髪と、暗い青の瞳だった筈だ。
マーズのあの真紅の髪と瞳も、自分の知ってるものと違う。彼女が持っていたのは、光があたると紫がかって見える黒髪に、薄紫の瞳だった。
ヴィーナスは色素の薄い金髪と、透明感のある青い瞳。今は深みのある金髪で、瞳もオレンジになっている。
塗り間違いをしたようだ。纏う空気は本当に良く似ているのに。そして更に、まだ違いはあった。
「なんかみんな………」
僅かに疑いを孕むうさぎの視線に、四人の意識が集中する。
注目を浴び、多少ためらいながらもうさぎははっきりと言った。
「…………老けた?」
散々溜めてでた発言がそれで、みんなは思わず肩を落とす。いつものみんななら顔面から突っ伏してくれてもおかしくないのだが、少しノリが悪いような気がした。
「……おたわむれを」
勿論、戯れに呆けたわけではない。事実彼女の知る四人の友人の姿と比べて、明らかに眼の前の四人組は年齢が上だ。見る限り二十歳前後で、うさぎからすれば随分な大人に見えた。
それでもどうしても、誰かが彼女達に変装して自分を騙しているとは思えない。姿形に違いはあれど、やっぱり感じる輝きは同じものなのだ。
「……えーと、なんでみんな敬語使うの? やめようよ、あたしたち友達でしょ?」
「ですから、おたわむれはお止めください。プリンセス。あなたは皇女、私たちは、貴女をお守りする戦士です。お忘れですか?」
マーキュリーが、子供の悪戯に手を焼いていると言うような疲れた表情で、うさぎを見た。
――――素直に受け入れることさえ出来るのなら、そこでようやく、全ての疑問は払拭されたのだった。
「…………はい?」
今うさぎの眼の前にいるのは彼女の友人たちの前世での姿。
かつて滅ぼされた千年王国の、王室最後の後継者を護ってきた……


――――――四守護神たちだ。





2003年01月06日(月)
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