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■ 読まずに喰うのが黒ヤギ流【ロビナミ】
持て余した時間で余計なことをするのが思春期だ。 余分なく埋めた答案の片隅に1行。
“彼氏いますか?”
終業のチャイムと同時に騒然となる教室の中、返って来たばかりの答案を頬杖ついて眺めながら、ナミは笑うか笑わないかを決めかねていた。 自分で書いたことすら忘れていた幼稚ないたずら書きの横、連なる丸の連鎖の終わりに、赤ペンで一言。 「“今はいません”、か。」 薄っぺらい紙をぴらぴら振って、よどみなく動く手のままに書いたであろう、澄ました教師の顔を思い浮かべた。しみじみ見たことはないが、視界の端に捉えてすら一瞬びっくりするような整った顔の女。確かに、どんな男に手が出せようか。 「でも、“今は”ってのは、別れたばっかりか、でなきゃ候補が居るときに言う言い方よね?」 「なんの話?」 いきなり振られ、隣で帰り支度をしていたビビが首を傾げる。 「や、なんでもない。帰ろっか。」 薄っぺらい鞄を肩にかけて、ナミが立ち上がると、ビビも慌ててあとを追った。
夕暮れの街並み。前の角で友人と別れてすぐ、ナミは踵を返して元来た道を引き返す。 目的も意味もない。ただなんとなく引き寄せられるように、静まり返った校舎に吸い込まれていった。 茜さす教室で、色あせた記憶のようによそよそしい自分の机。見たまましまい込んだ答案を引き出して、もう一度眺めてみる。走り書きの隣にきれいな字で書かれた回答。 別に、深い意図もなく、余った時間が長すぎて、手持ち無沙汰の手が勝手に綴った問いだけど。 「律儀に答えちゃって、変なの。」 頬杖ついて眺める今の時間も相当に手持ち無沙汰で、鞄からオレンジの色ペンを取り出してくるっとひと回し。キャップを外し、しばらく考えてから、赤ペンの横に新しい問いかけ。
“あたしとか、どうですか?”
「――って、あほか」 くだらない悪戯書きに自分で笑って、席を立つ。ぐしゃぐしゃと丸めて隅のゴミ箱に放れば、ふちに当たって転がる。 鞄を持って立ち上がり、捨てきれなかった心のもやを今度こそきちんとゴミ箱に入れようとしたところで、ドアが開いた。 「……!」 丸められた答案用紙を拾い上げる、ナミの体が一瞬固まった。 誰もいない教室にひとりでいると言うのはなんとなく後ろめたいもので。そしてなにより、その顔が、予想だにしないぐらいのタイミングで現れたものだから。 「え、ロビン先生?」 「どうしたの? 忘れ物?」 動揺するナミとは反対に、ロビンはいつものしれっとした顔で首を傾げた。 下校時間を過ぎた教室で、帰宅部のはずの生徒と居合わせた教師としては別段おかしな対応ではないけれど。 そう思いながらナミは、なんでもない紙ゴミのように手のなかのそれを手放した。四角い箱の中、わずかばかりのやましい気持ちが落ちていく。 「あら、それ」 「1学期のプリントです。机の中、整理してたら見つかって」 「そう」 さらりと嘘をついて、さらりと受け止める教師の横を通り過ぎた。 「待ちなさい」 「……なんですか?」 「ご挨拶は?」 「…………」 幼稚園か。と思って眉をしかめたナミに、ロビンが有無を許さない顔で微笑む。ナミの溜息さえ軽く聞き流した。 「……先生、さようなら」 「はい、さようなら」 満足そうに笑って、長い指でナミの頬に触れる。キスまでが、流れるように自然だった。 「…………」 「気をつけて帰ってね」 「…………」 呆然と立ち尽くすナミを置いて、ロビンが教室を出て行く。その背中と、ゴミ箱の中で、もうただのゴミになってしまった答案用紙を見比べる。
見てもいないはずの問いへの答え、がそこにあった。
さらりと流れるように、赤ペンで一言。
“いいわよ”
2000年02月22日(火)
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