|
|
■■■
■■
■ 猫飼い【10】
壁に背を預けてベッドの上で、足を伸ばして天井を眺めていた。 少女はその膝に顎を乗せて、だらりと寝そべり読書中。 読めもしないくせに、なんて、自分の子供の頃なんか棚にあげて子供を侮るロビンは考えていた。 それでも部屋に響くページをめくる音には緩急があって、理解しながら読んでいるふうでもある。 まさかと思いながら、飽きもせずに“航海士ごっこ”をしているらしいナミの頭を、なんとはなしに撫でていた。 ふと、ページをめくる音が途絶えたことに気がついて視線を降ろせば、ナミが自分を見上げている。 「どうしたの?」 「今日の天気どうだった?」 「朝食の時は晴れてたわ。いい風が吹いてた」 「ほんと?じゃあ気のせいかな。」 「なにが?」 「ううん、なんでもない」 本を閉じてロビンの腹に額を押し付ける。くすぐったくて身をよじったのを面白がって、ナミはますますぎゅうとしがみついてきた。 「にゃあ」 「ふふ、なぁに?」 膝を立て、ナミを閉じ込めるように腕を回す。狭い部屋でもまだ広すぎるというように、ふたりで小さく小さく丸くなる。 めちゃくちゃに甘やかして、ひとりで立てないくらいの子供に戻してしまえば、ずっとそばに居てくれるだろうか。そんな不埒な考えを自嘲の笑みひとつで振り捨てて、ロビンはすっかり癖になった仕草でナミを撫でた。 応えるようにナミはまたにゃあと鳴いて、ロビンの体に頬ずりする。温かい体。
そんな、穏やかな午後だった。 いつまでもこんな時間が続くかのような錯覚のうちに日は暮れて、宵闇がにじり寄ってくる。 船内の奥深くの小さな部屋で、ナミが嵐だと呟いた。 「え?」 「なんか、気圧が変だなぁって思ってたんだよね。」 耳を澄ませてみれば、確かに遠く甲板を叩く音が聞こえてくる。そうと意識してみれば、船の軋みと思っていた音もごうと唸る風の音だとはっきり分かった。 「ほんとね。でも、ただの嵐よ。心配ないわ」 「してないよ。それくらい分かるもん。」 「あらそう」 知ったふうなことを言いたがる子供のさがだと思ってロビンは軽く流す。 そして嵐に阻まれ一層閉塞感を増す船の中で、ナミを抱いてもう眠ろうとした頃。 船内が急に慌しくなる。 揺れは激しくない。この程度の嵐でどうにかなるような船では無いはずなのに。 不安そうに自分を見上げるナミの背中を撫でながら、目抜き咲きで船内の異常を探る。走り抜けるクルーたち。目ですら分かる怒号、混乱、戦いの合図。 海軍が船に横付けていた。 「……ご主人さま?」 かけられた声は怯えたものだった。その声に、険しく歪められた表情を慌ててほぐす。 「なんでもないわ」 でもどうしたらいい? この嵐の中、横付けまで許した相手に勝てるだろうか。乱闘の様子を眺めやれば、隊列を整えて押し寄せてくる海兵たちの動きに乱れは無く、海賊たちは次々と甲板を赤く染め上げる。 ――ダメだ。 今まで自分が属した海賊たちの末路がよぎる。 いつかこの船もダメになるだろうと思っていた。でも何も今じゃなくてもいいじゃないと、ロビンは神を呪った。
……どん……っ
遠くで重く響く音。悔し紛れに誰かが撃った大砲が海軍の船に大穴を開けたのだ。 しかしぴったり寄り添っていた海賊船も大きく傾く。 共倒れだ。 ごうごう響く音が間近で聞こえた。どこか遠くのことのようだった争いの音がぐんと近くなる。 「離れないで」 驚いて身を寄せたナミの体を抱き上げて、もはや誰の目も気にせず部屋を飛び出した。 走り出す廊下は激しく左右に揺さぶられている。段々と近づく危険の音。 ナミはロビンの胸にきつくしがみつき、ロビンがどれだけ足を取られても紙一枚分も離れなかった。 甲板に近づくと血の匂いが濃くなる。ロビンはますますナミをきつく抱きしめて、転がる男たちの体を飛び越えていく。海賊たちがロビンの名前を呼ぶが立ち止まらない。 自らの目で見た甲板は見慣れた惨状だった。嵐に激しく打たれ、横たわる敵味方。立っている者たちも、帰る船がもう無いことを知っていてがむしゃらに殺しあう。 この足の下にある船もじき沈むだろう。買い出し用の小船まで、誰にも邪魔されずに、この子を守っていけるだろうか。 いつもよりあがる息のまにまに必死で思考していると、ただでさえ不安定な足元を何かに取られる。水浸しの甲板に倒れこむ瞬間も、ナミを庇って身をひねった。 「だ、だいじょうぶ?!」 身を挺したロビンのお陰で無傷のナミは、豪雨の中で顔をあげる。倒れたロビンが身を起こそうとするのに手を貸しながら、なんとはなしに見たロビンの足元に息を詰まらせた。 「……一等航海士…」 ナミの言葉に視線を落としたロビンも、ひゅっと喉を鳴らした。見当違いな罪悪感が胸を締め付ける。災いを呼ぶと言われた自分が招いたかもしれない結果として彼が死んだことに、ではなくて。そのことでナミが少なからずショックを受けたことにだった。 「……行くわよ」 目を覆うようにまた抱き上げて、混乱の只中を駆け抜ける。胸の中で小さな嗚咽。 「あなたは生きなさい」 「……生きるわよ」 慰め方も励まし方も知らないロビンの素っ気無い言葉に、泣いてるはずのナミははっきりとした声で言った。 「生きてやるわ」 たくましい言葉の中の幼さも弱さも迷いも確かに感じたのに、ロビンはそれ以上に深い覚悟を信じて、前を見詰めた。 返さなくちゃ。生きようとする子が生きていける世界に。 剣と銃弾と罵声をかいくぐりロビンは走る。
2000年02月14日(月)
|
|
|