|
|
■■■
■■
■ 猫飼い【7】
航海は順調だ。 随分長いこと風を浴びてないけれど、どこからともなく香る潮の匂いに、そのことを感じる。 早くて一週間と言っていた。この調子ならきっとそれくらいで着くだろう。 「あと、2日か」 小さく呟いた。3日目の朝には、この人は自分を手放す。何度も引き寄せて閉じた腕を、一回きり、開いて。どんな顔をするんだろう。目の前の寝顔を眺めながら思った。 気付いているんだろうか。いつも泣きそうな顔をしていること。 「おとなのくせに」 目が覚めるたびいつもすぐそばにあったから、気がついたら自然に手を伸ばすようになっていた。黒い髪。長くてさらさらで、花の匂いがした。 本人の知らないところで、さりげなく、年上の子供を甘やかす。子供だからか傷ついているからか怯えてるように見えるからか、何もかも弱く見えるからか、油断しきって寝ている実は怒ると怖いらしいひと。頭を抱きかかえるようにして撫でて、ときどき小さく子守唄を歌う。血の繋がらない母が歌ってくれた、でたらめでひどく陽気な子守唄。 そうしていると哀しそうな寝顔が緩むこと、教えてあげたい。 そして子供らしい無邪気さを装って聞いてみたい。何がそんなに哀しいのか。 遠くで起床のベルが鳴っている。元々倉庫だったらしいこの部屋には、微かにしか響かない。けれどロビンにも聞こえたのだろう。きゅっと眉間を寄せてみじろいだ。ナミは髪を撫でていた手を引っ込めて、ロビンの体を乗り越えするりとベッドを降りる。そして意識も覚醒半ばのロビンが目をこすろうとした瞬間を狙いすまし、枕をぐいっと引き抜いた。 「?!」 油断しきっていた体が顔面からベッドに突っ伏すと同時に、ナミは引き抜いた枕を再びロビンの後頭部に押し付け、そのまま自分もその背中に飛び乗る。 「まいったか!」 「…………っ!!」 押さえつけた枕の下でロビンが何かを言ったようだが、当然ナミには聞こえない。ふふんと勝ち誇っていると、抵抗らしい抵抗をしていなかったはずのロビンの腕が、後ろからナミを引っ張った。 「うぇっ?!」 思わず変な声をあげている間には、もうロビンの体から引きずり下ろされていた。確かに腕の残像を見たけれど、押さえつけていたはずの体勢から考えて、有り得ない角度だった。 「え? え?」 「……なんのつもり?」 混乱してきょろきょろしていると、剣呑な面持ちで起き上がったロビンと目が合う。 「あんたこそっ! 今のなにっ! 絶対おかしいと思ったのよ! 最初に会ったときも、今やった変な技使ったでしょ!」 「論点をすり替えないで。今私が聞いたのは、朝からいったいなんのつもりか、と言うことよ。」 「う゛っ…!」 想像以上に怖い。 でも多分本気ではないだろうと、ナミは無意識に思った。子供はそういうカンが働くものだし、なによりナミは、ロビンは自分を本気では怒れないに違いないと本能で感じていた。 「別に。あんまり油断してるから。」 ナミはそっぽを向いて言った。ロビンが目を丸くする。そうだ。いくら子供相手とは言え、もしその気があれば殺せるくらいの隙を見せていたのだ。この自分が。 「危ないよ、って。忠告。」 再び視線を戻してにやりと笑う。 “その気”なんてこれっぽっちもない、秘密基地を共有した親友に見せるような笑顔だった。ロビンは肩から力が抜けていくのを感じ、それまでどれだけそこに力を入れていたのかを感じた。 相棒めいた合図を送るこの少女は、今自分の肩から、何を取り除いたのだろう。 「それはそうとさ、おなかすかない?」 ナミはずりっとロビンの膝元まで寄ってくる。当たり前みたいに顎をあげるのを見て、当たり前のように手を伸ばし、人差し指で一撫で。 「……そうね。でもその前に、」 そこからするりと手を下げて脇腹をくすぐる。ベッドについていた左手も参戦。 「わっ! ちょ、やめ、くすぐっ…! いたっ! くすぐったいいたい!」 笑い転げながら痛む脇腹を庇う。身をよじってロビンの手を噛むと、やっとでロビンは手を引っ込めた。 「ちょっと! ケガ人になにすんのよ! 無茶するなって言ったの自分じゃん!」 「そんな元気そうな顔色で何言ってるの。よかったわね、峠は越えたみたいよ」 「心配したみたいなこと言って。ただの仕返しのくせに」 「あら、ほんとうに心配したのよ?」 くすくす笑ってベッドを降りる。ナミも続いた。 「ご飯、持って来るから大人しくしててね」 「すぐ戻ってくる?」 手早く身支度しようとするが、ナミが足元にまとわりつくように付いてくるのでままならない。でもそれすらくすぐったいような嬉しさでどうでもよくなった。苦しげだった息遣いは快活に弾み、熱に焼かれて赤くなっていた肌は、今では薄桃色に色づく花のようだった。 「すぐには無理よ。船の中女ひとりって言うのは目立つの。いつも通りに行って、いつも通りに食べて、その中で目立たないようにあなたの分を盗って、それから戻ってくるわ」 「えー」 不満気な声も、顎を一撫でしてやればしずまる。 「いい子にしててね、泥棒さん」 「はいはい、ご主人さま」 生意気に言い放つその声。船が永遠に岸になんてつかなければいいのに。
2000年02月11日(金)
|
|
|