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■ 猫飼い【6】
補佐役を休ませてもらっているとは言え、自室で出来る雑務は山のようにある。それらをこなしてやっと一息ついたときには、せっかく登った陽もはや沈みかけていた。 習慣になりかけている動作でベッドの方を振り向くと、ナミは変わらず枕に顔を埋めていた。時々何かにうなされてはいたが、それでも最初に比べれば幾分か落ち着いた顔も見るようになっていた。そもそもあの歳で、手負いの獣じみた様子でこの船に転がり込んできたのだ。なんらかのトラウマ持ちには違いないだろう。 とは言え気にならないわけでもない。報告書をまとめて紐に通し、簡単にデスクの整理を済ませてベッドに寄った。 「終わったの?」 いつから起きてたのか、ナミが枕から顔をあげてロビンを見る。 「ええ。起きてたのね。」 「うん、さっき。……あんたの声が聞こえたから」 ロビンを見上げながら、真っ赤な顔で言った。今度のは間違いなく、熱のせいだった。薬は完全に抜けてしまって、本来の熱はいまだ衰えることなくこの小さな体を焼いているのだ。 「私の声?」 「言ったでしょう? 大丈夫、って」 力ない吐息のような声。 そうだ確かに言った。ナミがうなされるたびに、何度も大丈夫と繰り返したのだ。何がどうかは自分すら見当もつかなかったけれど、それ以外の言葉が思いつかず、呪文のように繰り返した。 届いていたのだ。 「ええ、大丈夫よ。」 裏付けるように微笑んでみせると、ナミは安心したように頬を緩めた。そして少しためらってからロビンに手を伸ばす。耳からすべって落ちた長い黒髪の一房を掴んで、軽く引き寄せた。 「お仕事、終わったなら、一緒に寝よ」 大人しく引き寄せられていたロビンは、困ったように眉を寄せる。鏡のように、ナミも哀しげに眉を寄せた。その顔を見て、どうして自分はこんな場面でためらってしまうのだろうとロビンが思う。 子供の、それも傷ついて熱を出して悪夢にうなされて不安がってる子供の、添い寝くらい。 怖いことなんてひとつもない。この子は今、こんな名前も知らない女にしか頼ることができないのだ。こんな広い海の上、助かる保障もない傷を抱えて。 身を翻してこの手をすり抜ける日が来ても、爪を立てて牙を剥く日が来ても――猫のすることだ。 きっと私は傷つかない。 彼だって言ったじゃないか。“情が移ってもいけない” そう、情を移さず、フラットに、クールに。野良猫を面白がって手なずけてるだけ。 傷の手当をして、餌と温かい寝床を与え、少しばかり抱いてやって。 「いいわ」 布団を持ち上げて、空いたスペースに潜り込む。最初のためらいを拒絶と取ったナミは、遠慮がちに後ずさる。その体を抱き寄せて、頭を胸に抱えこんだ。近すぎて苦しくないように、遠すぎて不安がらないように。 なんて甘やかし方。責任が無いからできることだと、ロビンの中の一番大人びた部分が言った。めちゃくちゃに甘やかして、ひとりで立てないくらいの子供に戻してしまえば、この海ではすぐに死んでしまうだろう。 ナミはしばらくためらったあとで、ロビンの胸に擦り寄り、また寝息をたて始めた。夜が更けるまで、寝るともなしナミの背中や髪を撫でていたロビンは、彼女が一度もうなされなかったことに気付いていた。 そして年相応の幼い寝顔を見ているうちに、自分自身安心しきっていることにも気付いていた。 小さく脈打つ熱の塊のような命を抱いて、ロビンは久しぶりに夢を見ながら眠った。遠い未来の、幸せな夢だった。隣では、腕の中の女の子によく似た今の自分と同じくらいの少女が、笑っていた。
2000年02月10日(木)
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