“ヤルキマン・マングローブ”【ルナミロビ】

 「あれ、やってよ」

事情を知る仲間たちのハラハラした視線はお構いなしに、ナミが表情ひとつ変えずハチを見た。
たこ焼き器の後片付けをしているケイミーとパッパグのそばで、ぐったりひっくり返っていたハチはばっと身を起こし、ナミの言葉を反芻する。

「あれ?あれってどれだ、ナミ」

「あれって言ったら、あれよ。分からないの?」

わざとらしく素っ気無く、ナミが言う。わからないならいいよとでも言う顔をされて、ハチは慌ててまた頭の中をフル回転。

「あ、」

ぽんっと3組の手を打ち鳴らし、ハチが目をしばたかせた。
なんだなんだとハチとナミを交互に見ながら、次の見世物を待つように、期待の眼差しを送るクルーたち。

「これか?」

6本の掌で次々指を組み替えて、ハチが指先や腕で色んな形を作る。
陽を受けた壁が、その動きに合わせて落ちる影でぱっと華やいだ。

「すげー、恐竜だ!」

「チューリップ!」

「アヒル!!」

「へー、影絵か」

「お見事ですねぇ」

はしゃいだり感心したりする声の中、少しだけ浮かれてハチは次々技を披露する。
はじめて見たらしいケイミーとパッパグもはっちんすごーいなんて言いながら魅入っていた。
その声を聞きつけたサニー号の面々も船からこっちを見下ろして感嘆の声を洩らす。
けれどただひとり、足組みして頬杖ついたナミだけが、相変わらず無表情に自分を見ている。
なにを言うでもなくじっと見つめるその視線の意図が分からなくて、ハチは困ってしまう。
あれとはこれだろうか。それとも別のことだろうか。
あ、とまたハチは小さく声を洩らし、ぱっと全部の手を開く。

「なんだよー、もう終わりかー?」

「もっと見せてくれ!」

「なぁおい、さっきのもっかいやってくれよ!ティラノザウルス!」

ブーイングもアンコールも気にせず、ハチはどこからともなく取り出した紐を手際よく結わいて一本の輪を作る。
それを目にも留まらぬスピードで指から指へ次々通し、開いてみせた。
そのたびにあがる歓声。

「くまだ!」

「タコだ!」

「折鶴!」

「あやとりか、大したもんだな」

「ほんと器用ですねぇ」

「はっちん凄いね!どこで覚えたの?」

「てゆーかおまえ元海賊だろーが。なんでそんな女子みてぇな特技があんだよ」

他の声など聞こえないように、ちらりとナミを盗み見るハチ、やっぱりじっと自分を見つめていた。
無表情。感情の読めない顔。
泣き顔をそういえば、見たことがない。
指先はせわしなく動かしながら、ハチの頭はゆっくり昔の記憶を辿った。
きっと多分、自分たちのせいで、とても哀しい想いをしたに違いないのに。
あの女を殺した日以来、8年ずっと一緒に過ごして、一回だって見た事が無いのだ。
そして笑顔を。
いつも笑ってた気がしたのに、さっき笑ってくれた、あの笑顔を見たとき、一度だって笑ってなかったのだと今更気付く。

「オウオウ、手が止まってるぜ」

頭上から野次が入り、ハチは気がつけば止まってた指を慌てて動かした。
そのあいだもちらちらちらちらナミを見る。

言っちゃいけないことくらい分かっている。
自分は絶対に、このひとことをナミに言っちゃいけない。
分かっていて、言葉が勝手にすべって落ちた。


「笑ってくれよ、ナミ」


呟くような小さな声に、屋台の前がしんと静まり返る。
ウソップとサンジは眉を寄せ怖くてうしろを振り向けない。
そんな中ルフィだけが、ためらいもなくナミを見た。

「なんだナミ、おまえ泣いてんのか?」

状況の読めないクルーも気遣うクルーもみんなそっちのけで、ルフィがあっけらかんと首を傾げる。

「こいつ、ぶっとばそうか?」

あのときそうだったように今だって、助けてと言えば当たり前だと言ってくれる。
そう確信させるルフィのやさしい声。――内容は穏やかじゃないけれど。

「どこ見てんのよ、ルフィ。誰が泣いてるって?」

「そうか、うん、泣いてねぇな。ならいいんだ。」

またハチの方に向き直って、ルフィが続きを促す。もっとやれよと。
ハチは身動きできないまま、ルフィとナミを交互に見た。

「ナミ」

「やってよ、ハチ。うちの船長のご所望よ。」

「……にゅ」

」情けなく呻いて、ハチが紐を操る。
何事もなかったかのようにあがる歓声。
手元に注目が集まる中、ひっそり泣きそうになっているハチの顔。



ナミは目を伏せて、遠く、また振り返ればまだ傍らにある、記憶を想った。



何度も何度も、言ってくれた。

影絵も、あやとりも、マニキュアの塗り方まで、教えてくれたのはハチだった。
どこで覚えてくるのかいつもいつも、女の子が喜びそうなことを仕入れては、今度こそとばかりに披露する。
ナミの冷たい視線にも態度にも怯まず、何度だって言ってくれた。

作り笑顔を返したけれど、そのたび心が細い頼りない棘に刺されたように少し痛んだ。
ハチが喜んでくれた分、深く深く、染みるように痛い。

『笑ってくれよ、ナミ』



あのやさしい声が、少しだけ、ほんとうにほんの少しだけ、あの日のかなしい心を慰めた。
そんな誰かの小さなやさしさの積み重ねが、自分をここまで守ってきたのかもしれない。

多分、そうなんだ。


「ばか、なにあんたが泣きそうな顔してんのよ」


くすりとナミが笑えばそれだけで、ハチはまた涙ぐんで「なんでもねぇよ〜ぅ……」なんて言う。
ナミは面白がるようにけたけた笑い出し、ハチはますます目に涙を溜めた。
事情を知る者は安堵や感慨で笑い合い、知らない者たちはお互いの顔を見合わせながら不思議がる。


「ハチはばかよね、むかしから、ほんとにさ。」

「……あのなぁ、ナミ。おれはこれでも真剣に反省してるんだぞ。」

「反省で何もかも許されればいいわよね」

「ニュ〜……」

またつんとそっぽを向いて言えば、まんまとハチは落ち込んで、ナミの思うがまま。
面白がってナミが笑うループ。
もうなにがなんだか分からなくなって、泣きながら大技を繰り広げるハチに、周りからは止まない喝采。
銀河、大森林、そしてこれはハチのオリジナル、嫌味でもなんでもなく彼の本気の好意――蜜柑畑。

「ほんとにはっちん凄い!覚えるの大変だったでしょ?頑張ったね〜」


ナミは心で小さく頷いた。

ねぇ、大変だったろうにね。なんでそんな頑張っちゃうのかな。

「……ばか」



まだ言えない。
ありがとうとは言えない。

そんな言葉を言えるほど大人じゃないし、時間も足りない。
今言えることは泣きやまない男を笑い飛ばして一言。



「笑ってよ、ハチ」






わがままだろうが訳分からなかろうが、ナミの言いなりになってしまうハチ。
周りは引け目負い目なんだろうと思ってるけど、実は同僚時代からずっとこんな感じでした(捏造)
昔っから海賊稼業が似合わない“いい人”だったので、ナミのことが気になって仕方なく、笑わせようと構い倒してたのです(捏造)
ナミはうっざいなぁと思いながらも、ちょっとだけ救われてもいました(捏造)
ほんとにこの2人の幹部時代のエピソードが見たいです。どんなだったんだろう。

2000年01月26日(水)
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