読書記録

2018年08月18日(土) 天秀尼の生涯 / 三池 純生(よしまさ)

 豊臣家最後の姫


豊臣秀頼に子がいたことは知らなかった。
正室・千姫の子ではない。
それも二人、国松と泰姫。
母は渡辺何某の娘とかで、徳川の追及から匿うためにひた隠しにされてきた。

兄の国松は大阪城落城から何とか逃げ出せたものの、徳川に捕えられて処刑された。男子ゆえに向後のことを恐れての決断だったが僅か8歳。
そして 泰姫も捕えられて、江戸で千姫(天樹院)と親子の契りを結んだが、
すぐに尼にされ、女性として人並みな恋も許されない人生を、有無を言わさず選択させられた。
天秀尼と名乗り、あの女人駆け込み寺として有名な鎌倉東慶寺の、第二十代住持に就任した。

天秀尼については、あまり資料が残っておらず著者の素晴らしい知見から産まれた物語だ。

主人公の天秀尼は、幕府の強力な政治力が根付いていた江戸時代初期に、虐げられた女性の人権を守る寺法を復活させ、それを時の権力者に認めさせた、時代の先駆者である。

それにしても今まで多くの歴史ドラマ等で、大阪城落城の物語をみてきたが、豊臣家滅亡の所以は淀君の強い我のように伝えられているように思うが、この物語では秀頼の意志が前面にでていた。
秀頼は一部で伝えられているようなマザコンではなく、十分に豊臣家を継承していける人物だったようだ。
ただ まだまだ年若く、家康の老練には敵わなかったということだろう。





 < 過去  INDEX  未来 >


fuu [MAIL]