コミュニケーション。
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2015年08月29日(土) 喧嘩の終わり



あれから2日が過ぎ、やっと落ち着いた。
あの次の日は、愛想よくなどできなかったけれど、
コーヒーを淹れるなどは何の苦もなくできて、
すこしホッとした。
できなければ、何かへの一歩だ。


会社に居ると、母から何度か電話がかかってきた。
数日前に散々愚痴を聞かされてうんざりしていて、
さすがに続きではないだろうと思ったものの、取る気にはならなかった。


誰にも話す気にならなかった。
夫が本気だと思い込めば込むほど、誰に言っても解決しないし、
夫は冗談を言っていた、私の悋気と思えば、
私の独り相撲で、誰に話す価値もない、ただのヒステリーだ。


一方夫は、私に話しかけなかった。
全て、息子を介して意思を伝えてきた。
が、それは、「〜ってママに言ってこい」などではなく、
息子に話しかけ、息子に次の行動を示したうえで、
自分は、私も一緒に行動するようにふるまうのであった。

来客の用事があり、それはきちんと私に伝えてきた。
その声音や、息子への態度から、
夫自身の機嫌は悪くなく、私を腫れ物扱いしているだけだとわかった。




会社はひとつ大きな仕事が終わったところで、
本を読めて気分転換ができた。
感情は相変わらず夫が悪いと責め立てていたが、
理性はちゃんと戻ってきていた。
女のことが本気なら隠すだろうし、家族で何度も行かないだろうし、
普段から私をからかって笑うのが好きな人だ…。

結婚式の永遠の誓いを思い出して終わりにできればさながらドラマだったのだが、
数日前のセックスの、私の脚に口づけする夫を思い出したのが私らしかった。




何度も書いているが夫は脚フェチである。
それこそ新婚のころから脚痩せをと求められてきた。
腹は出てていいのだ、腹筋などしなくていい、脚だけをというのだから筋金入りだ。
セックスのときも、脚への愛撫はほとんどなかった。
そもそもコンプレックスであるので、
彼がそこを無視してくれるのは嬉しかったのであるが、
プロセスを飛び越してキスである(プロセスがあるかは知らない)。
脚へというより、脳への愛撫というほうが近かった。
死ぬかと思った。





気持ちが落ち着いたので、誰かに話そうかと思った。
でも、やはりそれに意味はなくて、
夫と会話するしか道はない。
メールを打とうと思ったら、また涙が出てきた。
ええい、電話してしまえ。
「あの子のこと、本気で好きやっちゃろ……?」
向こうの夫は爆笑であった。
笑い声を聞きながら、私はこの電話で何がしたかったのだろうかと思った。
笑ってくれない未来など考えていなかった。
私はこの日常に甘えすぎているだろうか。
次の日、私は父に愚痴をぶちまけ、また爆笑させ、
やっと喧嘩が終わった気がした。







雪絵 |MAILHOMEBLOG

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