コミュニケーション。
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2007年04月19日(木) 記録更新の予定。




寺島がミクシィを辞めていた。



私は、ほぼシカトを通した、ということになるけれど、
あんまり、気になってはいない。


昔だったら多分、
罪悪感に苛まれていたかな…
人を拒むことが苦手だから。



私が、「今日を最後にする」と言った日、
何も言わずに受け入れたこと。



引き留めては、くれなかったこと。



それが彼の答えだと思ってる。
だから、
ミクシィ上の彼に言葉を投げかけることは、しなかった。




彼が「会いたい」と言うまで、というのは、
さすがに無理かな、と思っていた。
そう、はっきり気持ちを言葉にする人じゃないから。

だけど、だからって、
たった1回の、あんな意味不明のメッセージで、許す気はなかった。



他の女の子には、
もうちょっと気の利いた言葉が出るのかもしれない。
いつでも素で接せられた私には、
ある意味素直な言葉しか出ないのかもしれない。


そうやって彼の気持ちを汲んでやった気になって、
彼を信じてみる、ということを、
今まで繰り返してきたわけだな、と思った。
だからもう出来ない、と思った。





一方で。






落ち込んでいるカメラマンを元気付けようと、
何をしようかなぁと考えていた。

考えてやったことが、100%カメラマンの意に添うことではないにしろ、
多分カメラマンは、私の気持ちを感じ取れると思う。
それで、日ごろのお返しが出来ればいいなぁ、と思った。



ふと、寺島にそういうことをしたことがあっただろうかと思った。
うん、あったあった。

受験でピリピリしていたとき、
あの手この手、差し入れを考えていた。
今より小娘で、
的確に考えられなかったのが悪かったと思う。
寺島はあまり喜ばなくて…
私は、「せっかく考えたのに」という、
恩着せの悪循環にはまっていた。
言いはしなかったけど。

寺島が、テニスの後の乳製品にハマっていたとき、
ヨーグルトやらなんやらを置いて、
先に帰っていたこともあった(バイトだったから)


要するに、
私は典型的な「尽くす女」だった。


それがまるっきり悪かったとは思ってない。
うざければもっと早くに終わっていただろうし、
多分そのへんで寺島は自分への愛情を確認していただろうから。


寺島だって、私の世話は焼いた。
私に合うラケットをいつも安く探してくれていたし、
部屋の掃除を時々してくれたし(このへん女として終わってるけど)、
藤原君曰く、私を説教してるとき楽しそうだったらしいし。


なんだかんだでバランスがとれていたのかもしれない。
その当時は、うまく受け取れなかった。
うまく投げれもしなかった。



子供だったのだなぁと思う。
恋していた、とも言える。

今だったらもう少しうまくやれるかもしれない、と思う。
ベストな愛情表現はわからないけど、
もう少し、寺島を思い遣ってやれるかもしれない。
もう少しうまく、寺島を愛せるかもしれない。


そんなことも、思った。





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これってある意味根競べ?
違うよなぁ。
私は決別したつもり(にしちゃ、考えすぎ?)

想いを捨てきれなくて、ごめんなさい。

寺島の実感のなさを憂えたけど、
私だってまだまだ、実感なんてないんだ。

3週間の記録更新、まだだしね。


そうだ。
今日(4/20)で、恋人をやめて1年だった。

そういえば、3年前の今ごろも縁を切っていて、
それを戻したのが、3年前の4月21日、つまり明日だなぁ。
そのときの記録が3週間で最長記録なわけで。
それ以上会わなかったことって、
5年前に付き合いだしてからはないんだよね。

来週あたり、泣き出すだろうな。
この日記、荒れそう(笑)



雪絵 |MAILHOMEBLOG

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