コミュニケーション。
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寺島がミクシィを辞めていた。
私は、ほぼシカトを通した、ということになるけれど、 あんまり、気になってはいない。
昔だったら多分、 罪悪感に苛まれていたかな… 人を拒むことが苦手だから。
私が、「今日を最後にする」と言った日、 何も言わずに受け入れたこと。
引き留めては、くれなかったこと。
それが彼の答えだと思ってる。 だから、 ミクシィ上の彼に言葉を投げかけることは、しなかった。
彼が「会いたい」と言うまで、というのは、 さすがに無理かな、と思っていた。 そう、はっきり気持ちを言葉にする人じゃないから。
だけど、だからって、 たった1回の、あんな意味不明のメッセージで、許す気はなかった。
他の女の子には、 もうちょっと気の利いた言葉が出るのかもしれない。 いつでも素で接せられた私には、 ある意味素直な言葉しか出ないのかもしれない。
そうやって彼の気持ちを汲んでやった気になって、 彼を信じてみる、ということを、 今まで繰り返してきたわけだな、と思った。 だからもう出来ない、と思った。
一方で。
落ち込んでいるカメラマンを元気付けようと、 何をしようかなぁと考えていた。
考えてやったことが、100%カメラマンの意に添うことではないにしろ、 多分カメラマンは、私の気持ちを感じ取れると思う。 それで、日ごろのお返しが出来ればいいなぁ、と思った。
ふと、寺島にそういうことをしたことがあっただろうかと思った。 うん、あったあった。
受験でピリピリしていたとき、 あの手この手、差し入れを考えていた。 今より小娘で、 的確に考えられなかったのが悪かったと思う。 寺島はあまり喜ばなくて… 私は、「せっかく考えたのに」という、 恩着せの悪循環にはまっていた。 言いはしなかったけど。
寺島が、テニスの後の乳製品にハマっていたとき、 ヨーグルトやらなんやらを置いて、 先に帰っていたこともあった(バイトだったから)
要するに、 私は典型的な「尽くす女」だった。
それがまるっきり悪かったとは思ってない。 うざければもっと早くに終わっていただろうし、 多分そのへんで寺島は自分への愛情を確認していただろうから。
寺島だって、私の世話は焼いた。 私に合うラケットをいつも安く探してくれていたし、 部屋の掃除を時々してくれたし(このへん女として終わってるけど)、 藤原君曰く、私を説教してるとき楽しそうだったらしいし。
なんだかんだでバランスがとれていたのかもしれない。 その当時は、うまく受け取れなかった。 うまく投げれもしなかった。
子供だったのだなぁと思う。 恋していた、とも言える。
今だったらもう少しうまくやれるかもしれない、と思う。 ベストな愛情表現はわからないけど、 もう少し、寺島を思い遣ってやれるかもしれない。 もう少しうまく、寺島を愛せるかもしれない。
そんなことも、思った。
これってある意味根競べ? 違うよなぁ。 私は決別したつもり(にしちゃ、考えすぎ?)
想いを捨てきれなくて、ごめんなさい。
寺島の実感のなさを憂えたけど、 私だってまだまだ、実感なんてないんだ。
3週間の記録更新、まだだしね。
そうだ。 今日(4/20)で、恋人をやめて1年だった。
そういえば、3年前の今ごろも縁を切っていて、 それを戻したのが、3年前の4月21日、つまり明日だなぁ。 そのときの記録が3週間で最長記録なわけで。 それ以上会わなかったことって、 5年前に付き合いだしてからはないんだよね。
来週あたり、泣き出すだろうな。 この日記、荒れそう(笑)
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