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2007年10月17日(水) 自分の「常識」を疑うとき

最近ひょんなことから、顔を合わせると世間話をするご近所さんができた。年齢が近く、夫とふたり暮らしで実家がそばにないという点も同じ。その女性と立ち話をしたときのこと。
彼女は来月出産を控えた妊婦さんなのだが、今月下旬に義理の両親が家にやってくることになっているという。お祝い品のベビー布団を遠方の実家から車で届けてくれるのだ。
それだけ孫の誕生を楽しみにしてくれているのだなあ、と彼女はうれしく思った。が、気になったことがひとつ。その日お義父さんたちはどこに泊まるのかということである。
「もちろんうちに泊まってもらうよ。日帰りできないんだし」
夫の「どうしてそんなことを訊くんだ?」という口ぶりに彼女は困惑した。
泊まるとなれば当日の夕食、翌日の朝食を家で食べることになるし、部屋の掃除も必要である。が、その頃にはすでに妊娠九ヶ月の半ば、体調がどうなっているか見当がつかない。義父母はいい人たちだが、気を遣わずにいられるわけではない。ふだんならともかくこういう時期だからホテルに泊まってほしい、夕食だって外食にしてもらいたいくらい……というのが彼女の本音である。
「でもね、主人の『うちに泊まってもらうのが当然』って顔を見てたら、私って冷たいのかなあって気もしてきちゃって……。わざわざ運んできてくれるのにホテルに泊まってほしいって言うのは私のわがままなんかなあ?って考えれば考えるほどわからなくなって」
そして、こういう場合はやはり家に泊まってもらうものなんだろうかと言った。

同じ「嫁」の立場の人間、私は真剣に考えた。
「もてなそうなんて思わなくていいから。ごはんだっていつものでいいんだからさ」と夫は言うに違いない。しかし、「ハイ、そうですか」とやれるくらいなら最初から悩んでなどいない。……ということに思い至らない夫では当日なにを期待できるとも思えない。
彼女のおなかはいかにも重そうで、見るからに自由がききそうにない。こういう状態のときに余分な仕事を請け負うのは気が進まなくて当然と思われた。
「わがままなんかじゃないと思う。それにちょうど布団もないことだし」
私は彼女にそう伝えた。

が、家に帰ってから思った。彼女にああ言ったが、それは一般に通用する考え方なんだろうか、と。
相談事をされたとき、自分の意見を「この考えはおかしい、適切でない」と思いながらアドバイスする人はいない。「ほかにも方法はあるかもしれないけど、自分の言うこともあながち間違いではないだろう」と思っているからこそ“助言”できるのだ。さっきの私もそうである。
しかしふと、「なにも身重のそんな時期に無理をする必要はないんじゃないか。ホテルに泊まってもらうのは正解」は常識的な意見なのか、他の人ならどう答えるのかを知りたくなった。

そこで「発言小町」を検索してみたところ、似たような相談を見つけた。投稿者は新婚の女性。
「遠方に住む義父母が新居を見にくることになりました。客用布団がないこともあり、家でお茶を飲んでもらった後、夕食は外に食べに行き、近くの宿泊施設に泊まってもらおうと提案したのですが、夫は納得しません。私の考えは失礼なのでしょうか」
という内容である。レスを読んでみたら、
「はっきり申し上げて、失礼です。布団なんてレンタルすれば済む話でしょう」
「布団を言い訳にしてホテルに放りだすのですか?すごい神経ですね」
など辛口の回答がずらり。すべて女性からの、家に泊まってもらうのが当たり前という意見である。
もっともこの投稿者は妊婦さんではないため、この反応をそのまま隣人の相談の答えとしてみなすことはできない。けれども私には布団をレンタルするという発想がなかったので、「ふうむ、少なくとも妊娠中でない場合は家に泊めるのが普通なのか……」と勉強になった。

* * * * *

その後、出産経験のある同僚や友人に訊いてみたところ、「泊めない」と異口同音に言った。
「後期に入ったらすぐおなかが張って横になってることが多かったし、腰痛もひどくなって最低限の家事を休み休みこなしてたくらいやのに」
「予定日にはまだあるとはいっても、その時期だとなにがあってもおかしくないよ。そこまでがんばる必要ない」
「三十週過ぎたら子宮で胃が圧迫されて、第二のつわり状態。食事なんかまともに作れんかったわ。私やったら夕食も外食か、仕出しを取る」
私の感覚は突飛なものではなかったみたいだ。

テレビを見たり新聞を読んだりしていて何事かについて意見を持つ。そのときにふと、
「私は自分のそれをごく普通、真っ当なものであると思っているけれど、はたして本当にそうなんだろうか。実は世間一般の常識と大きくずれていることに気づいていない……なんてことはないだろうか」
と思うことがある。
「ずれていること」が問題なのではない。ずれているのを「自覚していないこと」が問題なのだ。
私が七年も日記サイトを続けているのは書くのが好きだからであるが、自分と人の感覚、価値観の差を知ることができる機会であるというのも理由のひとつにある気がする。

【あとがき】
いただいたメールを読みながら、そういうふうに感じる人もいるのか!そういう考えもあるんだなあと“発見”することがよくあります。これもささやかな社会勉強と言えるかもしれません。