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2007年01月23日(火) 不快のツボ

交差点で信号待ちをしていたときのこと。行き過ぎる車を見送りながら友人が言った。
「あの“Baby in Car ”ってなんなんやろ」
彼女は日常的に車を運転する人である。いままで知らなかったのかと驚きつつ、「あれは『赤ちゃんが乗っています』っていう意味よ」と教えてあげたら。
「そのくらいわかるっつーの。私が言ってるのは、どういう意図であれを貼ってるんやろうってこと!」
それは失礼しました。
彼女はこの「赤ちゃんが乗っています」が大嫌いなのだという。以前、無謀な車線変更をしてきた車に急ブレーキを踏まされ、思わずクラクションを鳴らしたら、後部座席の女性がぱっと振り返り、リアウィンドウの「赤ちゃんが乗っています」ステッカーを指差して睨みつけてきた。
「『後ろに赤ちゃんがいるんだからもうちょっと車間とってよ』なのか、『大きな音出したら赤ちゃんが起きちゃうでしょ!』なのか知らんけど、あたしゃぶち切れたね」
以来、そのステッカーを貼った車を見ると「だからなに?」と突っ込まずにいられないそうだ。

そんな経験をしてしまうと手厳しくなるのも無理はない気もするが、「赤ちゃんが乗っています」が好きでないという声はネット上や新聞の投書欄でもちょくちょく耳にする。
「乗っている、とだけ知らされてもなにを求められているのかわからない」
「『注意力散漫で運転しています』というアピールなのか」
「気を遣え、特別扱いしろと言わんばかりで傲慢さを感じる」
「追突しないで、煽らないでと勝手に警戒していて不愉快だ」
「赤ちゃんがいるのがそんなにうれしい?」
などであるが、あのステッカーを見てこんなふうに受け取る人がいると知ったとき、私は心底驚いた。そんなこと思いもよらなかった。
私にとってそれは若葉マークやもみじマークと同じである。それらの表示のある車の後ろについたときは用心の気持ちが起きるのでふだん以上に車間を空ける、少々もたついていてもカリカリしない、あるいはさっさと追い抜いてしまう。しかし、このくらいのことで「余計な気を遣わされた」と思ったことはない。
赤ちゃんステッカーは「赤ちゃんに気をとられて危険な運転をするかもしれないけど、大目に見てね」でも「だからそちらが気をつけてちょうだい」でもなく、「こういうわけでスピードが出せないので、お急ぎの方はお先にどうぞ」という、ただそれだけのメッセージであろう。押し付けがましいことなどなにもない。後ろの車は「赤ちゃんが乗ってる?だからどうした」ではなく、ふつうに「念のため、車間をもう少しとっておこう」「じゃあ先に行かせてもらうよ」で済む話ではないのだろうか。
あれのなにがそんなに癪に触るのか、私にはぜんぜんわからない。

もうひとつ、自分とは“不快のツボ”が違うなあと思うのが、子どもの写真入り年賀状。好意的でない人が少なくないが、私はどうということもない。
「会ったこともない子どもの写真を送られてもうれしくもなんともない」
「メッセージが『娘は今年から幼稚園です』みたいな子どものことだけだと、『私はあなたのことが知りたいのよ』と言いたくなる」
なんて話をよく聞くが、私は「そっかあ、彼女はいまこの子のママをしてるんだなあ……」としみじみ思う。
そりゃあ彼女も写っているもの、彼女の近況が書かれているもののほうが見て楽しいのはたしかだけれど、年賀状は相手への“プレゼント”ではないから、私のところへは送りたいもので送ってくれればいい。

最近読んだ内館牧子さんのエッセイにこんな話があった。週刊誌で「年賀状に子どもの写真を印刷してばらまくのはどうかと思う」とかなり辛辣に書いたら、後日知り合いの男性から、
「僕も子どもが生まれたとき、あなたにもそれを送っちゃって。うちは長いこと子どもができなかったんでうれしくて……。でも内心笑ってたんですね」
と言われ、返す言葉がなかったという内容だ。
赤ちゃんステッカーにしろ子ども年賀状にしろ、こちらがなにほどの苦痛を強いられるわけでもない。子どもがかわいくてたまらないんだなあと温かい目で……とまではいかなくても、ふつうの目で見てあげればいいじゃないの。


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