過去ログ一覧前回次回


2006年04月30日(日) 忘れないでね、わたしのこと

内館牧子さんのエッセイ集「忘れないでね、わたしのこと」を読んでいる。その冒頭にタイトルの由来について書かれた文章があった。
あるとき単行本を出すことになった。膨大な量のゲラ刷りの校正と依頼されていた原稿が仕上がったので担当編集者に連絡したところ、「じゃあ宅配便で送ってください」という返事。
驚いた。いままでそんなことを言われたことがない。どの編集者も「なくなったら大変ですから」と必ず取りに来る。しかし、そう説明しても彼は「なくなりませんよ」と言い張る。
内館さんは激怒した。編集者なのに原稿というものをえらく軽く見ているではないか。
結局、それらは内館さんのほうから届けに行った。そして思った。彼も若い頃はきっともっと熱くて真摯だったに違いない。でもいつしか「その頃の自分」を忘れてしまったのであろう……。
「忘れないでいよう、昔の自分のことを」
自戒を込めてそのタイトルをつけることにした、という内容だ。

この話を読み、私がふと思い出したのは先日の山形由美さんのフルート盗難騒動である。
JR東京駅のコインロッカーにフルート二本を預け、友人と食事などをした後戻ったら、鍵がないのに気がついた。管理者を呼んで開けてもらうと中は空。山形さんは鍵をかけたかどうか覚えておらず、警察が「鍵を抜き忘れたロッカーから何者かがフルートを盗んだ後、鍵をかけた可能性がある」とみて捜査をはじめたところ、まもなくJR川崎駅のコインロッカーから発見された、というものだ。

見つかったフルートは傷ついている様子もないということで本当によかった。「二度と会えないかと思った」と涙の再会をしたという報道に、ちょっぴりじんときたりもした。
けれどもこのニュースを聞いたとき、びっくりしただけでなくがっかりしたのも事実である。プロの演奏家が楽器をコインロッカーに預けるなんてことをするとは思わなかったからだ。
「演奏家にとって楽器は命の次に大事なもの。肌身離さない」というイメージを持っていた。しかし、ワイドショーの中継で山形さんが、
「音楽仲間から『他人事ではない』という電話やメールをもらいました。みなさんもやはりコインロッカーに預けたり車の中に置いたままにしたりすることがあるので、これからは気をつけなければ……と言っていました」
と話していたところをみると、それほどでもないらしい。

……というわけではたぶんないのだろう。
みな、それはそれは大切にしていると思う。山形さんが「二本とも時間をかけて自分の音にしてきた愛着のあるフルートです」と語ったように、誰にとっても自分の楽器は代わりのないものであろうから。
にもかかわらず、素人にも「それは危険だ」とわかるような扱いをしてしまうのはなぜか。
山形さんがそれを預けたのは駅のコインロッカーの安全性を信頼して、というわけではないだろう。もしそれが千二百万円分の札束だったら(千二百万円相当のフルートだったそうだ)、ぜったいに預けてなどいなかっただろうから。
「慣れ」というのは恐ろしい。昔の自分なら「とんでもない!」と思ったはずのことが、いつのまにかそうでもなくなってしまうのだから……。
内館さんを怒らせた編集者も、なりたての頃は原稿をそんなふうに扱ったりはしていなかったのではないだろうか。


出張先の夫に電話をしたら留守電だったので、「今日はもう寝ます」とメッセージを入れた。これは「なので“オヤスミコール”は遠慮するね」という意味である。
なのに深夜一時、目覚まし時計がわりに枕元に置いている携帯がけたたましい音を立てた。ああ、どうして人の安眠を妨害するんだよお……。あまりに眠かったので、私は留守番電話になった。
「申し訳ありませんが本日の業務は終了しました。メッセージがございましたらどうぞ。ピー」
そうしたら受話器の向こうから、
「愛想ないなぁ、昔はそんなことなかったのに……」
とぼそっ。
「それを言うならあなただって昔は、妻がかわいい寝息立ててるとこに電話なんかしてこんかったよ」
「留守電のくせになんでしゃべるんだよ。人がせっかく電話してやったっていうのにつれないな」
「ふんだ。寝てるとこ叩き起こされたってぜんぜんありがたくないわ」

電話を切った後、すっかり目が覚めてしまった私は「昔はそんなことなかったのに」について考えてみた。
そんなつもりはなかったけれど、言われてみればそうかもしれない。付き合いはじめた頃は電話が待ち遠しくて、お風呂に入るときも鳴ったらすぐに取れるように子機をバスルームのドアの外に置いていたんだっけ……。それが九年経ったいまはどうだ。

過去ログを読むと、ほんの数年前に書いたものなのに考え方や感じ方がいまと違っているのに気づくことがある。
しかしその変化は成長とはかぎらない。
人はどんなことにもすぐに狎れてしまう。「初めの頃の自分」を思い出す機会を持ち、そのたび途中で「喪失」してしまったものに気づくことができれば、家庭生活や仕事、友人との付き合いにおいて現在発生している不具合のいくつかはたちまち解消されるかもしれない。
そんなことを布団の中でつらつら考えた。