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2006年04月28日(金) 男性の「妻」を持つ男性(後編)

前編中編からどうぞ。

といっても、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったという。
会社員をしていた頃、ゲイであることを社内に広められたことがあったそうだ。Aさんはそのことを隠すつもりはなかったが、自分から宣伝して回る必要もないため身近な人にしか話していなかった。そうしたら、Aさんのことを好きだった部下の女性が他の女が近づかないようにするために吹聴したのだ。
「そんなことしても意味ないのにね。わたし、女性には興味持てないんだから」
と穏やかに笑うが、当時はかなりつらかったという。折り合いの悪かった上司からのセクハラはとくにひどく、何十人も出席している会議の席で「変態に仕事は任せられない」と罵倒された。噂は取引先にまで広まり、興味丸出しのぶしつけな質問をされることもあった。

「でも、いまは人にどう思われるかっていうのはぜんぜん気にならない。人生は一度きり、自分の思うように生きなきゃ!だもの。わたしが気にするのは、奥さんにとって自分が魅力的な人間でいられてるかってことだけ」

それを聞いて、私は思わずうつむいた。近くのテーブルのお客さんに話が聞こえてしまいそうだけどいいのかな……と気にしていた自分が失礼だったことに気づいたから。

それにしても二十年も一緒にいて、そんなふうに思いつづけてもらえる奥さんっていったいどんな人なんだろう。
友人によると、Aさんもかっこいいが奥さんはさらに美形で、雑誌のモデルをしていたこともあるという。加えて、「女性でもあんな人見たことない」と感嘆するほど“小悪魔”な人。なので、ものすごくもてるらしい。
「これまで何人も浮気相手が店に来たんだよ。うちの奥さん、浮気虫だから」
Aさんが苦笑する。
「えー、そういうときはどうするんですか。『テメエ、人の女房に手ぇ出しやがって!上等だ、おもて出ろ!』……とか?」
「あはは、それドラマの見すぎ。前は家に帰ってから大ゲンカしたけど、いまはしない。いちいち怒ったり悲しんだりしてたら身が持たないってわかったの。結局、奔放なところもあの人の魅力なのよね。それに帰ってくるのはわたしのところだから……」

ううむ、浮気を繰り返しても、夫から「あんな魅力的な人、そうそういない(から手放せない)」と言われる奥さんってすごい。
……と思ったそのとき。
厨房から若い男性が顔を出した。Aさんに話しかける姿に私の目は釘付け。帰りに友人が言うには、そのときの私を見て「見惚れる」とはこういうことかと思ったそうだ。しかしなんと言われようと、目の覚めるような美男子だったのである。
が、その男性が奥さんのかつての浮気相手だというからびっくり。
「じゃあひとつの店に夫と妻と、その浮気相手が一緒に働いてるってこと!?」
「不思議よねえ、ふつうやったら追い出すよね。でもAさんは彼のこともすごく大事にしてるねん。息子みたいな存在って言ってるの、聞いたことがある」

初めてベジタリアンの人に会ったとき、彼らの仲間意識の強さに驚いたことがある。ベジタリアン・フレンドリーでないこの国で暮らすのは苦労や不便が多いため、自然と結束が強くなるのだ……という話だったが、ゲイの人たちのあいだにもそれに似た感覚があるのだろうか。
それとも、ゲイうんぬんは関係なくAさん自身が寛大な人なのだろうか。相手の男性もすごくいい人なのかもしれない。
しかしいずれにせよ、私にはとても到達できそうにない境地である。


帰り道、私はスキップしたいような気持ちだった。
「偏見を持たない」と口で言うのはたやすい。その人の前で数時間理解のあるふりをすることもできるだろう。しかし、心がついてこなければなんの意味もない。
私は彼に会い、正直なところどう感じるのだろう?
「やっぱり不自然だわ」
「男同士なんて気持ち悪い」
そんなふうに思ってしまったらどうしよう……。店のドアを開ける瞬間まで、自分自身を信じきれないところがあった。

けれど、それは杞憂だった。だって男と女のカップルも男同士のカップルもまったくなにも変わらなかったんだもの。
浮気を疑ったり、記念日に食事に行ったり、老後の心配をしたり。話を聞きながら「結婚=同じ家で暮らす」なのだろうと思っていたのだけれど、ちゃんと“入籍”しているという。養子縁組で兄弟になることで「同姓」になったのだ。起こる揉め事や悩みばかりでなく、愛する人と同じ名前を名乗りたいという願いも同じだったのである。

「なあんも違わないんだ」と心ごと思える自分が、「きっとまた来てね。この人(友人のこと)と一緒じゃないときでも」というAさんの言葉が、とてもうれしい。