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2006年03月29日(水) 家族にわだかまりが生まれるとき

読売新聞の月曜のくらし面に「転ばぬ先に」というコラム欄がある。
財産管理や相続に関する読者からの疑問や悩みに弁護士が回答するコーナーなのであるが、私はそれを読むたび、ちょっと信じられないような気持ちになる。毎回のように「骨肉の争い」が繰り広げられているからだ。
もっとも最近読んだのは、
「三女の自分に全財産を相続させると書かれた父の遺言状を見て、姉たちが『父の字ではない』と言いだした。裁判所に訴訟を起こし、筆跡鑑定で決着をつけようと言われ、悲しい」
というもの。
年金が振り込まれる通帳を取り上げた娘を相手に法的手続きを取りたいとか、親の遺産相続で兄弟と揉め、縁を切ったとかいう相談者たちの言葉には驚かずにいられない。
お金が絡むと、それなりに円満にやってきた親子や兄弟でも憎しみ合うようなことになってしまうのだなあ……。
両親にもふたつ下の妹にも不信感など抱いたことのない私にはあまりにもぴんとこない話である。


……とはいうものの。
ある出来事をきっかけにそれまで保っていた、あるいは何十年もかけて築いてきた家族のバランスが崩れてしまう------それはどこにでもいるごくふつうの親子や兄弟のあいだにも起こりうるのだ、ということは最近なんとなくわかるようになった。

先日、夫の実家に帰省したときのこと。義母とふたりでお茶を飲んでいたら、義妹の話になった。
「この頃A子が、実家に帰りづらいって言っててね……」
としんみりと義母。
義妹は昨年、いくつかの理由で猛反対する父親とすぐ上の兄を説得しきれぬまま結婚した。義妹と“友だち親子”の義母は理解を示したが、義父と義弟は結婚式に出席しなかった。一年経ったいまも義妹の夫は身内と認められず、法事などの席でも義父と義弟から完全無視されている。
私はそういう場に居合わせるたび、「周囲の反対を押し切って結婚するとはこういうことなのだ」と思い知らされたし、義妹夫婦が気の毒でならなかった。
けれど、その状況はそう長くは続かないだろうとも踏んでいた。子どもが生まれたら彼らも変わる、と思っていたのだ。義父は頑固な人だから、実はいま頃、振り上げたこぶしを下ろすタイミングを探しているんじゃないだろうか……と。
もしかしたら義母や義妹夫婦もそう期待していたかもしれない。

しかし、現実にはなにも変わらなかった。それどころか、事態は複雑になったようにさえ見える。
義母は愚痴を言うような人ではないのだけれど、このあいだはたまりかねたように私に言った。実家で顔を合わせても、義父や義弟だけでなく義弟の妻B子さんまで義妹の赤ちゃんに知らん顔をするのだという。
義弟夫婦には小さな子どもがふたりいるが、B子さんは仕事を続けている。毎日保育園から連れて帰り、実家で夕飯を食べさせ、義弟かB子さんが仕事帰りに迎えに来るまで預かる。義母や義妹が協力を惜しまなかったから可能だったわけだ。
それなのにB子さんは自分の子どもをあんなにかわいがり、面倒をみたA子ちゃんに「おめでとう」の一言もない。それが義母は悔しくて、悲しくてたまらないという。

A子ちゃんと兄嫁であるB子さんのあいだに以前はなかった距離感があることには私も気づいていた。
ふたりが会話しているのを長らく見ていなかったし、今年の正月、B子さんが私に「離縁される覚悟で結婚したのに里帰り出産っていうのは甘えてると思う」と棘のある口調で言っていたから。
「実家に帰ってくるのに遠慮なんかすることないじゃない、とは言ったんだけどね……」
義母にそう言われたところで、父や兄、兄嫁がいる前では子どもや夫の話には一切触れられないというのでは義妹に以前のような居心地は戻らない。
そして義母にとっても、娘の家に遊びに行ったり孫の話をしたりといった楽しみを夫と共有できないのはさぞかしつらいことだろう。

* * * * *

初めて夫の実家を訪ねたとき、夫婦仲も兄弟仲もいい、素敵な家族だなあと感心した。その印象は結婚した後も長く変わらなかったが、ここにきてちょっと心配。

義父はひとり娘である義妹を本当にかわいがっていたから、彼女の将来を案じて反対したのだ。義父の怒りや失望には理解できる部分もある。
「だけど、もう結婚しちゃったんだから。こうなったら応援してあげなよ」
ということは、きっとたくさんの周囲の人も言ったに違いない。
けれど、人の心は理屈ではない。義母とともに義妹の理解者である夫にもどうすることもできないようだ。
時が解決してくれるのを待つしかなさそうなのが切ない。子どもに物心がつくまでになんとかなることを願っている。