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2005年10月07日(金) くさいものには、やっぱり……ふた?

前回の日記の最後にちらっと触れた「洋式便器のふたは閉めるか、否か」にメッセージをいただいた。
閉める派、閉めない派、どちらの言い分にもそれなりに理があって、とても面白かった。

「閉める」の理由として挙がっていたのは、
・ ふたがついているから、なんの疑問もなく閉めていた
・ 開けたままだといかにも「使用後」という感じがする
・ 水を流すときにしぶきが飛びそう
・ Dr.コパが開けっ放しだと金運が下がると言っていた

一方、「閉めない」と答えた方の理由は、
・ ふたを手で触るのが嫌
・ 閉まっていたら、使用可か不可か(きれいか汚れているか)が一目でわからない
・ 面倒くさい
・ においがこもりそう
というものだった。

* * * * *

自宅と外とでは対処が違うと答えた方を除くと、閉める派のほうがやや優勢といったところだろうか。この結果を見て、ふうむと腕組みする私。
というのは、わが職場のトイレは広くて新しくて清掃が行き届いた、どこに出しても恥ずかしくないトイレである。私はそれをこれまでに何百回と使ってきたわけだけれど、ふたが閉まっているのを一度たりとも見たことがないのである。
ワンフロアに女性が百人以上いるため、いつ行っても順番待ちをしている状態であるが、どの個室に入っても誰の後に入っても、閉まっていたためしがない。いただいたメールで判断すると五回に三回は閉まっていても不思議はないのに、これはどういうわけだろう。

「あのふたって、閉めるのがマナーなんかな?」
“トイレットペーパーは絶対ダブル”の友人に訊いたら、「そんなことないでしょ」と平然と言う。
「だってあれ、ふたじゃなくて背もたれだし」

彼女があんまりきっぱり言うので、一瞬真に受けそうになったではないか。まあ、さすがに背もたれだとは思わないが、彼女の「あのふたはなんのためにあるわけ?」には私も同感である。
ふたがついているということは閉めろということなんだろうなあ、閉まっているのが“元の状態”なんだろうなあ、とは思う。しかしながら、「なぜふたがついているのか」については明快な答えが浮かばない。
流水の飛び散り防止のためなら、洋式よりよほどリスクの高そうな和式にふたがないのはおかしい。メーカーが捨て置けぬと考えるほど日本人が風水好きな国民であるとも思えない。そして私の場合は入った個室のふたが開いていても、男性が便座を上げたままにして出てきたときのような「使用後」感は受けないから、家に遊びに来た友人がそれを閉めた閉めなかったということで、彼女の行儀をどうこう思うことももちろんない。

翻って、「べつに閉めなくていいんじゃない?」と考える理由はいくつもある。
閉まっているとそれを開けるときに「もしかして流れていないのか……?」と無用の緊張を強いられること、閉めたままだと便器内の湿度が上がり、においの元となる汚れがつきやすくなるという話をテレビでやっていたこと(こんな調査結果もある)、そうすることによるメリットが見出せないこと、などだ。
というわけで、私が必ず閉めるようにしているのは、暖房便座のときとよそのお宅にお邪魔したとき。前者には「節電」という閉めるべき理由が存在し、後者は「無難」を選んだ結果である。

職場のトイレで誰ひとり閉めないのは、「どうせ数秒後に開けられるんだし」という思いに加え、「次の人の手間を省く」意味あいもあるのではないかと想像する。外出先でふたのないタイプの洋式便器をちょくちょく見かけるが、それが「閉めること」の必要性のなさを証明している気がする。
……のだけれど、実際のところはどうなんだろう。また例のところ(「和式トイレのレバー問題」参照)に電話して訊くのは恥ずかしいしなあ。