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2005年09月14日(水) ケンカはこりごり(中編)

※ 前編はこちら

「落ちつこう、なにか方法はあるはずだ」
とりあえずキオスクでアイスクリームを買う。駅前のベンチに腰掛けて、頭の中にフローチャートを作った。

「私はペンションに帰りたい」

「でも最寄駅がわからない」

「じゃあ観光案内所で調べてもらおう」

「ペンションの名前もわからないのに、どうやって?」

「………。」

「私はペンションに帰れない」


頭を冷やしたらなんとかなるかも……と思ったのに、食べ終えるまでのあいだに名案はただのひとつも浮かばなかった。
アイスの棒を見つめながら、私は「ピンチ」という言葉をひさしぶりに思い出した。

しかしながら、置かれている状況のわりには焦燥感や悲壮感は薄かった。というのは、この期に及んで私は「人間、本当にしゃれにならない失敗なんてするもんか?いや、せんだろう」と呑気なことを考えていたのだ。
以前、空港のチェックインカウンターの前で、電車の中にパスポートと航空チケットの入ったバッグを忘れてきたことに気づいたことがある。「旅行がおじゃんになるかもしれない」と顔面蒼白で駅に戻ったところ、「もしかしてこれですか?」と駅員さん。折り返し運転になる前に誰かが気づいて駅長室に届けてくれていたのだ。
これまでに遭遇したピンチはすべて、そんなふうに間一髪のところで切り抜けてこられた。絶体絶命だと思っても、いつも絶妙のタイミングで「運」という名の救いの手が差し伸べられ、本当にどうにもならなかったことは一度もない。だから今回も「いやあ、一時はどうなることかと思ったよ、ハハハハ」ということになるはずだ、という妙な自信があったのだ。
たとえば、ここでこうしているうちに後ろから肩を叩かれ、
「小町さん、探したんだよっ、ほんとに山下りてっちゃうなんて!とにかく無事でよかった、ごめんよ、僕がなにもかも悪かったんだ。さあ、一緒に帰ろう」
なんていう展開になるのではないか……とか。

しかし、バーンホーフ通りを行き交う馬車を十台数えても、私の肩がノックされる気配はなかった。今度ばかりはそうはいかないのかもしれない。
「いまここに現れたら、許してあげようと思ったのに……」
私はいよいよ途方に暮れる準備をはじめた。


まず、最寄駅に目星をつけよう。
ペンションからツェルマットまで、宿の車に乗っていたのは二十分くらい。ということは、電車で数駅というところだろう。自分に問い掛ける。
「道中に観光名所的な建物かなにかなかった?」
「見てないねえ。ぽつぽつペンションがあったくらいで、あとは山と緑だったもん」
「そんなあ。それじゃあ今日は野宿になっちゃうよお」
「あ、でもそういえば……」
ペンションを出てしばらく走った頃に、右手にものすごく大きな駐車場を見たっけ。なんでこんな田舎の村に?と思ったら、運転手さんが「ツェルマットはガソリン車は入れないから、みんなこの駐車場に車を置いて、ここから電車で行くんですよ」と言ったのだ。

……あ!
そうか、あの駐車場の近くに駅があるのか。ということは、駐車場の場所がわかればペンションにだいぶ近づけるということではないか。
「あれだけ大きな駐車場だったら、地図に載ってるかもしれないっ」
急いでガイドブックを開く。そうしたら、「車で行く場合はテッシュの駅前にある巨大駐車場に車を停めて、電車に乗り換えよう」という一文が目に飛び込んできた。
路線図によると、テッシュはツェルマットの一駅隣りだ。車に乗っていた時間、「巨大駐車場」という表現から推測して、ペンションの最寄駅はきっとここに違いない。

いつまでも日は高くない。窓口で切符を買うと、私は消防車のように真っ赤な電車に飛び乗った。 (つづく