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2005年09月12日(月) ケンカはこりごり(前編)

友人に台湾に行かないかと誘われた。
台湾は好きだし、「鼎泰豐」の小籠包にも惹かれないではないけれど、正月とゴールデンウィークに行っている。さすがに年に三回もはなあ。……と思い、だんなさんと行ってきたら?と言ったら、「彼は食べるほうに興味ないから」と返ってきた。
たしかに台湾や香港、韓国といった国には食いしん坊と行ったほうがぜったい楽しい。納得したら、彼女がこうつづけた。
「それに、だんなとは行きたないねん」
海外に行くと、どういうわけか必ずケンカをしてしまうからだという。気が進まないのは夫も同じと見え、ここ数年は行きたい場所ができると彼女は友人と、彼はひとりで出かけているのだそうだ。
そういえば林真理子さんのエッセイにも、同じ理由で「夫とは海外旅行に行かないと決めている」とあったなあと思い出す。夫や妻とは海外旅行をしたくないと思っている人は世の中にそれほどめずらしくないのかもしれない。

……とまるで他人事のように書いてみたけれど。
実はうちもそうなのだ。海外に行くと決まって、しかもかなりヘビーなケンカをしでかす。そのため、単独行動の日が一日や二日は必ずできてしまうのだ。
それでも、そのくらいで治まればどうということもないのだが、たまに収拾がつかないことがある。三年前のオーストラリアでは最終目的地のパースで派手にやり、私と夫の帰宅は一日ずれた。こうなると旅の思い出を丸ごと台無しにしかねないので、さすがにここまでの事態は避けねばならない。
しかし情けないことに、数ある旅先での夫婦ゲンカの中にはこれのさらに上を行くものがある。
私の中で“ワーストワン”の座に燦然と輝くのは、昨夏スイスでやらかしたものだ。あのときのことを思い出すと、いまでも顔に縦線が入る……。

* * * * *

マッターホルンの登山口となるツェルマットという村は環境保護のため、排気ガスを出すガソリン車の乗り入れが禁止されている。例によってレンタカーの旅だったので、私たちは途中で見つけたペンションに泊まることにし、そこの従業員に宿の車で村の手前まで送ってもらった。
そこから登山鉄道に乗り、四十分かけて終点のゴルナーグラート駅へ。ヨーロッパで二番目に高いところにある鉄道駅で、眼前にはマッターホルンがそびえ立ち、波の形まではっきり見える長大な氷河が広がっている。それはもう言葉を失うほどの絶景で、私たちは長いことそれを眺めた。

さあ、そろそろ下山しようかというときにそれは起きた。
みっともないにも程があるので原因についてはご勘弁いただくが、まあ、本当にしょうもないことである。しかし、標高三千八十九メートルの山の上で「勝手にしろ!」「勝手にするわよ!」という展開になり、夫は駅に向かってスタスタ歩きだした。
で、私はどうしたか。
憤然と彼とは逆方向に、つまり「一緒になんか帰るもんか」と歩いて山を下りはじめたのである。

といっても、まるで道のないところを草をかき分けて下山しようとしたわけではない。いくら頭に血がのぼっていたからといって、そこまで無謀なことはしない。
のぼってくるとき途中にいくつか駅があり、そのホームに下りの電車を待つ人がいたことを思い出したのである。ということはそこまでの道があるはずだ。そして、眼下にはそこに向かっているらしき人の姿がちらほら見えた。
三千メートルの山の上にひとりぼっち、クレジットカードはあるけどフランはほとんど持っていず、英語も心許ない……とくれば、心細くないはずはない。が、それも“一時休戦”にできない意地っ張りな自分のせいなのだから、しかたがない。
そう開き直り、マッターホルンと高山植物を眺めながらてくてく歩いていたら無事に途中駅に到着、麓まで戻ることができた。

が、順調だったのもここまで。
ツェルマットの駅で、私は大変なことに気づいてしまった。さあ、帰るかと電車の切符を買おうとして愕然とした。
「どこまで買ったらええのん……?」
ペンションは、ツェルマットに向かってレンタカーを走らせている途中で見つけ、ここでいいんじゃない?と適当に決めたところだった。一刻も早く出かけたかった私たちはチェックインだけ済ませると部屋にも寄らず、宿の車で村の近くまで送ってもらった。
その車の中で、私は“いかにもスイス”な風景に見惚れていたため、最寄り駅の名も場所も確認しなかったのである。電車で帰ろうにも、いったいどこで降りればいいのかわからない。
しかもヘマはこれだけではなかった。なんと、私はペンションの名も覚えていなかったのである。これでは宿の最寄駅を調べることも人に訊くこともできないではないか! (つづく