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2005年06月24日(金) 「私の二十年を返して!」(後編)〜彼女の頼み

前編(「夫の秘密」)中編(「『たとえ一生なくても、この人と・・・』」)のつづきです。

突然、女性が苦しそうに肩で息をはじめた。
このところからだの調子がよくない、動悸やめまいがしたり急に暑くなって汗が吹きだしたりするというのを聞いて、工藤さんは更年期障害の症状ではないかと思った。
薬を飲み、落ち着きを取り戻した女性は言った。

「私、誰かちゃんとした男の人とセックスをしたいんです。このままセックスもしないで生涯を終えるのは嫌です。東京には男の人と出会えるバーがあるって聞きました。男の人を見つけに一緒に行ってもらえませんか」

私をハプニング・バーに連れて行ってください------彼女はそれを頼むために九州から上京してきたのだ。

工藤さんは困惑した。それは読んで字の如し、客同士の合意の下でなら性行為を含むどんな“ハプニング”もOKなバーである。彼女を連れてそこに乗り込む勇気は、ちょっとない。
「だけど、彼女の気持ちは同じ女として痛いほどわかる」

痛いほどわかる、かあ・・・。私にはそうはとても言えないな、と思った。
私も女の端くれであるが、「誰かとセックスをすればふんぎりがつく」という彼女の思考を理解できるのかできぬのか、どうしても判断がつかないのだ。
それは「私を女にしてほしい」という心情ではないだろうかと推測する。更年期に差しかかっていることも無関係ではないかもしれない。そういうタイミングで同じことが起こったら、私もそんなふうに考えるのだろうか・・・。
想像してみようとしたけれど、それは自分の身に置き換えて考えることができるほど、私にとってリアリティーのあるシチュエーションではなかった。

それでも、彼女の言葉は切なく読んだ。
「このまま生涯を終えるのは嫌です」には積年の無念が見えた。「恋愛をしたいんです」ではなく「セックスをしたいんです」であるところに切実さが表れていると思った。


エッセイは、工藤さんが「考える時間をちょうだい」と説き伏せ、彼女をいったん家に帰したところで終わっている。
私がその女性の身の上にシンクロすることはむずかしいが、工藤さんの立場にならなれる。新聞の人生相談の回答者なら、
「お気持ちはわかりますが、そんなことをしても空しくなるだけです。もっと自分を大切になさってください」
とアドバイスするかもしれないけれど、そんな説教こそ空しいと私は思う。じゃあどうするのだろう。
十九や二十の小娘ではないのだ、そうしたら心に区切りをつけて新しい人生がはじめられると言うのであれば、気の済むまでしていらっしゃい!と送り出すような気がする。「愛抜き」でかまわないなら、ハプニング・バーでなくともそれを手に入れる方法はいくらでもある。

「なんとも困った課題を引き受けてしまったと、ほとほと困り果てている」で結ばれているこのエッセイのつづきはいつか読むことができるのだろうか。 (後日談あります)