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2005年05月11日(水) 何食わぬ顔をして

先日、友人に会ったときのこと。彼女がぷりぷりしながら、同僚に「○○さんって悩みないでしょ」と言われた、と言った。
このところストレスがひどく、週に何度か仕事の後ひとりでカラオケボックスに寄って帰る日が続いているという。歌いながら感情が高ぶって泣いてしまうこともあるらしく、「自分でも病んでると思う」と言う。そのくらい精神的にきつい思いをしているのに、事情を知りもしないで勝手なことを……と悔しかったのだそうだ。

カチンとくるのはわかる。そう親しくもない人に対して「あなたは能天気な人ですね」と言わんばかりの口ぶりは失礼だ。
……だけどね。
あなたが職場では努めて明るく振る舞っているというのなら、彼がそう思うのもしかたがないかもよ。人は誰かについて、目に見える現象を寄せ集めて判断することしかできないんだもの。
ドラマや少女漫画の世界には、女の子がほんの一瞬浮かべた憂いの表情を見逃さず、「何かあった?」と優しく尋ねてくれる男性が登場するが、現実にはそんなことは起こらない。“わかってもらうためのサイン”を意図的に出さない限り、誰かの異変を周囲の人が察知することなどほとんど不可能なのだ。
私も「相変わらず元気だねえ」と言われたり、「ストレスなさそう」とうらやましがられたりすることがあり、そんなことないのに……とそのたび思う。しかし考えてみれば、自分自身が「疲れてます」「気分がふさいでます」を表に出すまい、悟られまいとしているわけだから、そう見られるのは当然のことなのだ。

とはいっても、感情をカムフラージュするというのは大人であれば日常的に行っていることであるから、いつもニコニコ、元気いっぱいに見えるからといってその通りの人であると思い込むのは早計だな、とは思う。
先日、仲良しの日記書きさんにごはんでも食べない?と言ったら、「実はちょっと心配事があって、それがある程度落ち着いてからでもいいかなあ」と返ってきた。ちらっと話を聞いたら、それはさぞかし気がかりだろう、遊ぶ気分になんてならないよね、と思うような内容だったのだけれど、日記は滞ることなく、またそれはいつも通り明るい調子で書かれていた。
思えば私もそうだ。体調が悪かろうと落ち込んでいようと、元気に見える日記はいくらでも書くことができる。不機嫌だったり、食欲をなくしたり、ため息をついたりしている人だけが「何かあった」わけではないのだ。

* * * * *

「子どもは好きじゃないからいらない」と公言している友人が不妊治療中だったり、マンションを買って間もない知人夫婦が離婚したり、元気印の後輩がセックスレスで三年も悩んでいたり。そういう話に遭遇するたび、人の心や本当の事情というのはうわべからは推測できないものだな、とつくづく思う。
人はいろいろなものを……口にできないあれやこれやを抱えながら、しかし何食わぬ顔をして生きていくものなのだろう。

だから私は、どんなに長く付き合っていようと日記を読み続けていようと、それで誰かをわかった気になることはないように、という戒めのようなものはいつも持っている。時々勘違いしそうになるけれど、私が知っているのはあくまで彼、彼女が私に知っておいてもらってもかまわないとした面だけなのだということを忘れまいと思う。
だって、私は自分に“許可”された部分がその人のうちのどのくらいを占めるものなのか、知ることができないのだから。