過去ログ一覧前回次回


2005年05月06日(金) まばたきもせず

沖縄から丸一日かけて船で台湾へ。飛行機でひとっ飛びもいいけれど、船内で遊びながらくつろぎながら移動するのも楽しいものだ。
台湾もまたおいしいものがたくさんあるところで、とくに今回の訪台の最大の楽しみであった「鼎泰豐(ディンタイフォン)」の小籠包については書きたい気もするのだけれど、ここのところ食べ物の話がつづいているので今日は別の話をすることにしよう。

* * * * *

台北に忠烈祠という、辛亥革命や抗日戦争、中共戦争で命を落とした三十三万人の兵士の霊を祀っている廟がある。台北忠烈祠
これの正門と本殿の前にはそれぞれふたりずつ、向かい会う形で銃を持った衛兵が立っているのだけれど、驚いたのは彼らが文字通り微動だにしないことだ。
表情を変えないどころか、まばたきさえしない。「呼吸しているのか?」と口元に手を持っていきたくなったくらいである。
以前、どうしても本物の人間だと思えず、衛兵の足に爪楊枝を刺して確かめた観光客もいたらしい。と言ったら、その直立不動ぶりがどのくらいすごいかご想像いただけるだろう。

湿度が高いため、五月といえども蒸し風呂のような暑さだ。太陽の下で一時間立ちっぱなしの彼らは制服の上からもわかるくらい汗だくになっていた。
四人とも顔にはまだあどけなさの残る、二十歳そこそこの男の子である。脇には彼らより少し年上に見える男性が張りついており、たとえ体のどこかがかゆくなっても目を盗んで手足を動かすといったことはとてもできそうにない。いや、その隙がある、ないの問題ではないのだろう。
私は日傘を差しかけたい衝動に駆られながら、
「一時間も身じろぎできないなんてどんなに苦痛だろう。こちらの男性は二十歳で徴兵されるというけれど、この職務はどのくらいの期間務めなくてはならないのか。目玉も動かせないほど自由を奪われたこの姿を故郷の母親が見たら、不憫で涙するのではないだろうか・・・」
と痛々しい気持ちで見ていた。

ところが、その憐憫はまったく的外れなものであった。
毎時零分に行われる衛兵の交代式は観光のハイライトになっているようで、そのタイミングに合わせて何台もの観光バスがやってくる。おかげでツアー客に混じってガイドさんの説明を聞くことができたのだけれど、それによると、この衛兵に選ばれる男性は台湾の陸・海・空軍の中でもエリート中のエリートなのだそうだ。頭だけでなくルックスもよくないとだめなので、身長、体重にも制限がある。それを聞いて、思わず大きく頷いた私。
というのも、儀式では十人くらいの衛兵が一糸乱れぬ行進を見せてくれるのだが、どの男の子も背が高くすらりとしており、びっくりするくらいかっこいい。私は「えらい男前ばっかりやなあ!」と感動していたのだ。
もし彼らの母が涙するとしたら、「うちの息子が立派になって・・・なんて名誉な」ということでなのだろう。

交代式は見事だった。先に剣のついた長い銃をくるくる回したり空中に投げたり、とバトントワラーさながらの技を十数分に渡って披露するのであるが(といっても、もちろん笑顔などない。完全に無表情でゼンマイ仕掛けの人形のようである)、動きがぴったり揃っている。
「規律」なんて言葉を思い出したのはいったい何年ぶりだろう。


衛兵が立っている姿を見せることができれば、皆さんにも今日の話をもっとイメージしてもらえたのだろうな。だけど写真は、ない。
実質的に彼らが本殿を守っているわけではない。それは儀礼的なものであり、そこには観光客へのサービスという意味合いも含まれているのだろう。
そうは思えど、滝のように顔を流れる汗もぬぐわず、ただひたむきに立っている彼らの隣りに並んでピースサインをつくる気にはなれなかった。この人たちは繁華街でときどき見かける“銅像”になりきったパフォーマーではない。
何人もの日本人が建物か風景でも撮るかのように遠慮もなにもなく、無防備な彼らの顔の前に携帯を突き出している図は、見ていていい気分はしなかった。

しかしそのあと、心なごむ光景を見た。
交代式が終わってからも私は少し離れた場所からお立ち台の上の衛兵を見つめていたのだけれど、厳しい表情をして彼らの傍らについていた先輩風の男性が、観光バスが去り客がいなくなったのを見計らって、衛兵の汗を拭いたり肩やふくらはぎを揉んだりしていた。
もちろん衛兵はうれしそうな顔もしないし、礼を言ったりもしない。眉ひとつ動かさず正面を見据えたままであるが、なんだか胸が熱くなった。


大型連休もあと三日。さあて、そろそろ家に帰るか。