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2005年04月07日(木) 子どもの性教育はいつから?(後編)

前編中編から読んでね。

その時期から性教育をはじめる理由について、学校から親たちに説明はあるものなのだろうか。
「小学二年生の子にそこまで教える必要がどこにあるわけ?」と憤慨している同僚(前編参照)に尋ねたところ、首を振りながら言った。
「そういうことに関心を持つ年齢が低くなってきてるから早いほうがいいって話やろ」
うーむ。いくらいまどきの子が早熟だからといって、さすがに一年生や二年生には無用の知識ではないだろうか。

週末に夫の祖母が亡くなり、月曜はお葬式だった。大人たちが準備にてんやわんやしている横で、義弟の息子ふたりが会場を駆け回って遊んでいる。
その様子を見ながら考えた。上の子はこの春からピカピカの一年生であるが、自分をかわいがってくれた人の死もまだぴんときていないようだ。そんな子どもがたった一年やそこいらで「生命の誕生」を理解できるようになるものだろうか。

「おばあちゃんの顔、よう見ときや。会えるのは今日が最後なんやで」
声をかけると、四歳の弟が言った。
「おばあちゃん、どこ行くの?」
天国だよ、と答えようとしたとき、兄のほうが言った。
「お星様になるんだよ!」

これを聞いて思った。この子に「ペニス」だの「卵子」だのといった言葉を用いなければ説明できないほどの情報を与えて、何がどれだけ伝わるだろう?

前編の中で、「小学一年向け『性教育副読本』こんな物凄い中身でいいの」というタイトルで大阪府・吹田市教育委員会が発行している性教育副読本の内容を紹介していた『週刊文春』の記事について触れたが、まさにその吹田市にお住まいの女性からメールをいただいた。
仕事から帰宅したら、小学五年生の娘が飛んできた。部屋にバンドエイドの空箱が転がっており、机の上にはその剥離紙が山盛り。どこをケガしたの!?と慌てたら、「お尻の血が止まらない」とわんわん泣きながら言ったそうだ。

その女の子が通う小学校では初潮教育は二年生で男女合同で行われる。彼女もすでに受けていたわけだが、それから三年近く経っていたため聞いた話をすっかり忘れていたのである。
いや、もともと理解していなかった可能性もある。前出の同僚が言う。
「息子がさ、『お父さんとお母さんは二回セックスしたんやろ』って言うんよ」
「二回?」
「ふたり兄弟やから」

その情報が子どもにとって大切なものであればあるほど、どの時期に何をどれだけ与えるかには慎重にならなくてはならない。予防的な意味合いで実施する性教育であるならなおさらである。事実だから、いずれ知ることだから早めに本当のことを話してやったほうがよい、とは一概に言えないと思う。
「性に対していやらしいこと、恥ずかしいことという感覚を持つ前に」というねらいはわかる。が、それでも、拾い覚えでおかしな知識をつけてしまうリスクを考えると、もう少し彼らの“必要”に迫るまで待って教える、で何か大きな不都合があるだろうかと思う。そのタイミングが小学何年生なのか、あるいは中学生になってからなのかはわからないけれど。

いただいたメールの中に、「赤ちゃんはどこからくるの?」「どうやって生まれるの?」と訊かれたがどう答えたらよいのかわからず、あるいはその年で教えてよいものか判断がつかず、モゴモゴ言って逃げてしまった……という内容のものがいくつかあった。
私も好奇心の強い子どもだったから、母を困らせたことがあったかもしれない、と思わず笑ってしまった。
子どもだからとごまかすのはよくない、とおっしゃる向きもあるだろうが、私は「コウノトリが運んでくるの」「ふうん」「おなかから出てくるんだよ」「へええ」の時期を経て本当のことを知る、これもまたサンタクロースを信じさせるのと似て、夢があってよいのではないかなあ?と思っている。


……とはいうものの。
二十年前の子どもといまの子どもとでは取り巻く環境が違うから、自分たちの頃のことを基準にして悠長なことを言ってはいられないという事情があるのもわかる。

私が育ったのは性的な話題は一切出ない家だった。それどころか、両親は私に付き合っている人がいるのかどうかさえ尋ねなかった。心配していなかったわけでも、無関心だったわけでもない。父も母も照れくさかったのだ。
そして私もかなりの恥ずかしがり屋である。しかしもしこの先親になることがあったら、道徳的なことはきちんと教えたいし、彼や彼女を家に連れておいでとも言おう。どこへ行くの?と訊いたとき、彼らがためらいなく「デート」と答えられる程度にはオープンな家庭にしたいなあと思う。
それも「子どもを守る」に通ずる、これからの親には重要な務めのひとつだろうから。