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2004年10月01日(金) 男友達とふたりで会うときのタブー

で、前回のつづき。
「無人島でふたりきりになっても、そんな関係にはならない」
「いまさら彼とどうこうなんて、気持ち悪くて想像もできんわ」
考えるのもバカバカしいといった調子で、彼女たちは言う。一緒にいてまるでときめかない相手とふたりで会おうと思えること自体、私には不思議でしかたがないのだけれど、それはそれとして、感心したのは、
「そういう相手じゃないけど、一応男と女だからさ」
「パートナーがいるわけだしね」
と、自分たちの関係にふさわしい親密さをキープするための“ここまで”というラインをちゃんと持っていることだ。
「なにがあってもおかしくないのが男と女」には私も異議なしなので、“百二十パーセント純粋な友人”っていう主張と矛盾してない?なんてことは思わない。
それでは、独身三人、私よりもずっとあたまが柔らかい主婦三人から挙がった「男の友人とふたりで会うときのタブー」の中から、一理あるかもねとうなづいたものをいくつかご紹介。全面的同意には至らなかったけれど、なるほど人はこれを「節度」と呼ぶのかもしれないと思ったものだ。
ひとつは、「奢ってもらわない」。「友人関係で奢られる理由がない」という言い分を、へええ、そういうものかと興味深く聞く。とくに男性が女性に奢った場合、「男」と「女」という立場がくっきりしてしまうことがあるというのはわからないではない。
しかし、それで対等であるべき関係のバランスが崩れるというのはいまひとつ実感が湧かない。同性の友人に「待たせたお詫びにお茶をごちそうするわ」とか「もうすぐ誕生日でしょ?ケーキ買ったげる」と言われ、そんなことを考えたことは一度もない。
私も割り勘が気楽で一番好きだが、なにかのお礼やお祝いといった理由があるときに奢ったり奢られたりするのは健全だし、楽しいものである。
そしてもうひとつのタブーは、「セックスがらみの話をしない」ということだ。なぜなら、おかしな方向に話が転がることがあるから。「夫の愚痴を言わない」を挙げた女性がいたが、理由は同じだった。
私の場合、下ネタを除けば(私にとってそれとエッチな話は別物だ)、まじめにする分には話題を選ばない。が、その手の話が不適切なノリを生じさせる可能性があることは否めないから、「けじめ」という意味で、それは賢明なことなのかもしれない。

……なんて言いつつ。最近、友人からちょっぴり刺激的なプレゼントをもらった私。
喫茶店でお茶をしていたら、「今日はあげたいものがあるんだ」と言う。えー、なんだろう?とドキドキしている私に彼が笑顔で差し出したのは、無修正のアダルトDVDだった。
言っておくが、「小町さん、こういうの好きでしょ」ということでもらったのではない。といって、「おぼこそうだから、これでも見て勉強したら?」というわけでもない(シツレイしちゃう!)。
「こないだ知り合いが『これはスゴイよ』って言って、くれたんだ。で、小町さんにも見せてあげようと思って焼いてきたよ」
まるで他意などない無邪気な顔で、友人は言った。
あー、えー、コホン。こういうものにとくに興味があるわけではないけれど、何事も勉強だもんね。「これを見たら、男の哀しさがわかるよ」とも言われたしー。
私は帰宅すると、さっそくDVDプレーヤーにセットした。ちゃんと見るのは夫が出張で留守の日にするとして、どんなもんかちょいと試しにね。
……あ、あれ?液晶パネルには「ディスクが読み取れません」の文字。もらった二枚ともがそうだ。
おかしいなあ、どうしてだろうとテレビの前でうなっていたら、夫から声が掛かった。
「さっきからなにやってるの」
「もらったDVDが映らんの」
夫はそれを手に取り、おごそかに言った。
「当たり前じゃない。パソコンで焼いたDVDだもん、パソコンでしか再生できないよ」
……ということは。
「残念だったね。小町さんのパソコン、DVDついてないもんね」
そんなあー。だってこれもらうとき、パソコンでしか見られないよとかそんなこと、ひとことも言われなかったよ。
「DVDついてないパソコンを使ってるなんて思わなかったんでしょう。そりゃそうだよ、いまどきは通販の激安パソコンにだってついてるんだから」
そんなわけで、私はまだそれを見ることができずにいる。「どうってことないじゃない。このくらいでスゴイだなんだって騒ぐなんて、男の人って可愛いのね」というコメントまで用意しているというのに。
夫のノートパソコンでは見られるようだが、もちろん貸し出しなんてしない。木を隠すなら森へ。DVDは彼が永遠に手を触れないであろうマッキー(槇原敬之さん)のCDの間にサンドイッチして、パソコンを買い換えるときまで大切に保管しておこうっと。

【あとがき】
「夫の愚痴を言わない」というのは、賢いなと思いました。こういうのは牽制とか自意識過剰とか水くさいとかいうのではなく、やはり「節度」なのだと思います。