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2004年09月22日(水) 再会

連休の最終日、クラシックのコンサートに出かけた。
三歳からピアノ教室に通い、クラシック音楽に慣れ親しんできた私。J-POPは落ち着かなくてどうも苦手だ。家にいるときのBGMはもっぱらラフマニノフかシベリウスである。

……ごめんなさい。いまウソつきました。
中学を卒業するまでピアノを習っていたのは本当だが、その間にクラシックに開眼したということもなく、いまではすっかり聴く機会を失っていた。ラフマニノフもシベリウスも名前しか知らない。
ではそんな私がどういう風の吹き回しでコンサートなのかというと、日記書きの友人が所属しているアマチュアオーケストラの演奏会があったからである。
歯医者さんの一服」のそうさんとは去年のちょうどいまごろ、私が企画したボウリングOFFに江草さん(「江草乗の今夜も言いたい放題」)が連れてきてくれたのをきっかけに知り合った。以来、貴重な関西在住の日記書き仲間として親しくしているのだ。

当日、私と藤さん(「e*toile」)、さちさん(「flip-flop」)の三人は尼崎のアルカイックホールの一階のど真ん中に席を確保した。やはり彼女たちもボウリングOFFで初めて対面し、意気投合した日記書きさんだ。
照明が当たった大きなステージはまさに“晴れ舞台”。私の人生において最後のそれはいつだったかなあ……なんて思いながら開演を待っていると、隣りの藤さんがささやいた。
「小町さん、あそこに座ってるの、江草さんっぽくないです?」
「え、どこどこ」
「ほら、前のほうの出入り口のところ」
“ぽい”っていうか、モロに江草さんやん!とすかさず突っ込みを入れる。ハンチングにグラサンといういでたちでクラシックを聴きに来る男の人がそう何人もおったら怖いわ。

そうこうしているうちに開演時刻になった。舞台の両袖からタキシードや黒のロングドレスに身を包んだ奏者が入場してくる。八十余名がポジションにつくと壮観。アマチュアとはとても思えない厳粛な雰囲気だ。私たちはすぐにステージ中央右寄りにひときわ背の高いヴィオリストの男性を見つけた。
ドヴォルザークの交響曲第八番とベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」。演奏が始まってすぐ、私は自分が久しく生の楽器の音色を聴いていなかったことに気づいた。
スピーカーを通さない楽器本来の音は、火を通したり調味料を使ったりしていない食材そのものの味とでもいうべきか。心地よさにときどき目を閉じて聴きながら、そういえば“classic”には「古典的な」以外に「一流の」とか「最高水準の」といった意味もあったなあと思い出した。
文学でも美術でも、時を越えて受け継がれるものには理由がある。クラシックは私のガラじゃないと長らく敬遠してきたが、初めてきちんと聴いてみたら、それがわかるような気がした。

うんと上質な二時間を過ごし会場を出ると、ロビーで仁王立ちする江草さんを発見。お目にかかるたび違うハンチングをかぶっておられるけれど、いったいいくつ持っているんだろう?なんてことを思いながら、一緒に楽屋を襲撃しましょうよとお誘いする。
そうさんは楽屋まで押しかけた私たちに驚くやら感激するやら。でも、実は私も負けないくらいうれしかったのだ。オフ会の後それっきりになっていてもちっともおかしくないのに、五人がこういう形で一年ぶりに再会できたことが。
その後梅田で女三人、飲んだり食べたりして四時間大いに盛りあがる。二度、三度と会っていると、日記だけでなく仕事や恋愛といったプライベートなことまで語り合えるようになるから、話が尽きない。
オフ会は一瞬のうちに跡形もなく消えてしまう花火のようなもの。だけど、そのとき一緒に空を見上げた人たちとその後もこうしてつながっていられることを、私はとても幸せに思う。
ああ、いい一日だったなあ。

【あとがき】
奏者が楽譜を二、三ページいっぺんにめくってあたふたしたり、指揮者が勢いあまってタクトを空に投げたりしないものかと思って見ていたけれど、そんなことはもちろんなかったですね。でも、ヴァイオリンの弦が切れたりすることはたまにあるらしい。では本番でそういう事態が起きたらどうするのかというと、ステージの奥の方向に向かってバケツリレー方式で隣りの人に自分の楽器を渡し、一番端の人には舞台の袖から代替のものを渡すのだそうだ。私はてっきりクロコみたいな人がさささっと、弦が切れた人に渡しに行くのかと思いましたよ。