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2004年06月12日(土) 「明日も読める」保証はどこにもないから

八日ぶりにメールボックスを開いて、驚いた。感激のあまり、しばらく言葉が出てこなかった。「更新が止まっているので心配しています」というメッセージがいくつも届いていたからだ。
月・水・金の朝九時ごろ。その判で押したような私の更新ペースを知っている何人かの方は、あるべき更新が二回飛んだ時点で「なにかあったな」とぴんときて、気をもんでくださっていたのだ。
結局、三回更新を休んだのだが、その間に留守電に吹き込むかのように何度もメッセージを送ってくれていた方もいて、私はもう少しでぽろりとやってしまうところだった。
テキストが「前編」のまま放置されていた不自然さも一因だったろうと思うが、こんなに早い段階で“異変”に気づいてくれたなんて、と胸が熱くなった。
と同時に、「大したことがなければよいのですが」「書くのに疲れたのなら、ゆっくり休んで」といった優しい言葉の前に、居たたまれなくなる私。そんな、そんなシリアスなことじゃないのよー。
あわててキーボードを叩く。
「心配かけてほんとにごめんなさい!事故に遭ったわけでも身内に不幸があったわけでもなくて、実はパソコンが壊れてたんです……」

私は今回のことで思い知った。モニターのこちらとあちらのつながりというのが、なんとひ弱でデリケートなものであるかを。
私はぴんぴんしているよ!といの一番にメールを送った友人が、「よかった、生きていて」と言ってくれたのだけれど、これはあながち冗談ではない。
自宅のパソコンが故障し、ひとたびメールの送受信やサイトの更新が不可能になると、モニターの向こう側の人たちに生きていることを伝えることすらできなくなるのだ、と私は知った。職場でネットができないことをどんなに恨めしく思ったか。
そして私にも、連絡を待つ立場で「一体なにがあったのだろう」とやきもきした覚えは何度かある。
仕事でトラブルが起こったのだろうか、それとも不幸があったのか。まさか病気になって入院したなんてことは……。
こういうとき、日記どころではなくなった理由にハッピーな想像はひとつも浮かばないからつらい。「ほかに楽しい趣味を見つけたのかも」とつぶやいてみようとするが、うまくいかない。
これからもずっと読ませてもらえるものだと思っていた。この日々がいつまでもつづくと思い込んでいた。しかし、いまが旬のサイトであろうと、何年もつづいているサイトであろうと、「明日も読める」保証は実はどこにもなかったのだ。

少し前、友人とメッセンジャーで話していたら、ある懐かしい日記書きさんの名が出た。わりと目立つ存在だったが、なにがあったのか突然サイトを閉じ、ふっつりと姿を消した女性だ。
あれから噂もまったく聞かないけれど、どうしているのだろう。
「また日記書いてるみたいだよ。ハンドルも変えて、リンク集とかにも登録してないらしいけど」
やっぱりなあ。書くことの魅力を知っている人はこの世界からそうあっさり足を洗えやしない。
新しい日記は誰かに聞けばすぐに見つかるだろう。だけど、そんなふうに探したりはしない。日記との出会いは人との出会い。縁があるなら、またどこかで出会える。
日記サイトは星の数ほどあるけれど、代わりのきかない存在がある。最終更新日がどれだけ遠ざかろうと、私の中で居場所は変わらない。オンリーワンとはそういうもの。
ちゃんと、元気でいてくれてますか。

【あとがき】
私が日記をやめるときは、まる一日分の日記を使って感謝の気持ちとか思い出とか語るだろうなあ。お世話になった人たちには別れを惜しむメールも送るでしょう、いま手の中にあるつながりの多くは私が書き手であるからこそ成り立っている関係だと思うから。で、いつかまた日記を書きたいと思うようになったときは、まったく別人としてゼロから始めるような気がします。小町さんであったことは誰にも言わないで。