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2004年01月28日(水) 寸止めの恋

先日、古賀潤一郎氏の学歴詐称について書いたところ、ある日記書きさんからメッセージをいただき、彼が二十代の頃にアメリカに留学していたことを知った。
青春時代をあちらで過ごしたと聞いて黙っている小町さんではない。私はすぐさま、「ということは、やっぱり青い瞳の女性との恋もあったのかしらん……ウフフ」と返信した。
それはほとんど冗談だった。その方(Aさんとしておこう)の写真を拝見したことがあるのだけれど、「実直」「誠実」といった言葉がぴったりの、日本男児な風貌をしておられる。学生時代、柔道で全国大会に出場したことがあるとも聞いている。そんなAさんがブロンド美女の腰を抱きつつストリートを歩く姿を、私はうまくイメージすることができなかったのだ。
しかし次の日、Aさんから一通のメールが。そこにはそれは素敵な恋物語が綴られていた。

「経営学修士(MBA)を取得してくるように」という会社の命令で、Aさんが渡米したのは二十六歳のとき。ニューヨークの大学院に入ってまもなく、たまたま参加したNPOのプログラムで三歳年下のジェニーと出会う。
ふたりが親しくなるのにそう時間はかからなかった。英語で話さなくてはならないのが苦痛で大嫌いだった電話はいつしか心躍るものに変わっていた。アメリカ生活が二年目に入る頃には、ジェニーの喜ぶ顔を見て幸せを感じる自分がいることに気づいていた。
しかし、Aさんはその気持ちを表に出すことはできなかった。なぜなら、日本に婚約者を残してきていたから。
「僕の帰りを待っている人がいるんだから……」
二年間の留学生活は無事終了。帰国が目前に迫ったある日、Aさんは勇気を出してジェニーをデートに誘った。ディナーの席で日本の風景がたくさん載った写真集をプレゼント。その中には故郷、岩国の錦帯橋の写真もあった。「Forget me not.」を彼女に強く伝えたかったのだ。
そして別れ際。アッパーウエストサイドの歩道の上で、ふたりは初めて唇のキスを交わした。いつものハグではなく。

ぐっときたのは、なんといっても最後のシーンだ。

あの時、彼女も間違いなく僕を抱きしめて離さなかった。お互いけっして「I love you.」を口にすることはなかったけれど。


互いに互いの気持ちに気づいていながら、「愛してる」を口にせぬまま別れるのだ。相手の人生を思い、尊重するがゆえに。
二年もそばにいながら、プラトニックラブで終わる----これはなかなかできることではないのではないだろうか。私は「うん、ふたりともよく堪えた、よく踏みとどまった」と、健闘を称えるような気持ちでつぶやいていた。

こういう話を聞くと、本当にすごいなあと思う。というのは、私は恋愛において気持ちの「寸止め」というやつができないからだ。
「好き」「会いたい」といった気持ちを長く胸の中に押し込めておくのは苦しくてたまらない。お付き合いした男性のうち半分は(業を煮やして)こちらから告白した人であるし、一緒にいられるようになってからはなおのこと感情に正直でいたがった。八分目にしておくのがよいのは胃袋だけではないと知りつつも、「ここはちょっと引いたほうが得策だ」と頭では理解しつつも、気持ちを出し惜しみすることができない。積極的とか素直とかいうより、堪え性がないというべきだろう。
いい年をした大人なのだから、感情のバルブをつねに全開にしておくのではなく、時と場合によって締めたり緩めたりして供給量を調節することを覚えなくっちゃ。そう思ってはいるのだけれど、なかなかうまくいかない。
「君の心がどこにあるかわからなくて不安だよ」
なんてセリフ、一生に一度くらい言われてみたいものだが、私にはちょっとむずかしいかもしれない。

寸止めの恋。あまりにも素敵なエピソードだったので、うらやましかったのだろうか。「ニューヨーク恋物語」を読み終えたところで、私はAさんにちょっぴりイジワルな質問をしたくなった。
「でももし留学期間があと一年長かったら……どうなってました?」
すると。
「婚約者を呼んで、アメリカで結婚式をあげてたと思います」
ハイ、小町さん、完敗です。

【あとがき】
手持ちのカードをすべて出さずにいられない、この性分は書く文章にもよく表れています。たとえばこの日記。胸の中にあるものを残らずアウトプットしたがるため、私の文章は長いだけでなく、読み手に想像の余地を残さぬほど過保護ですね。
ちなみに、Aさんはご自分のサイトでこの話を公開しておられません。なぜかというと、アップする前に奥様にサイトバレしてしまったからだそうで。なるほど、たしかにちょっぴりマズイかもしれませんね。いや、どうだろう?当時ならともかく、十数年たった今なら最後のキスも苦笑して許してくれそうな気もしますが……甘いかなあ。