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2003年10月22日(水) 考えどき(後編)

前編はこちら。

十月九日は結婚三周年の記念日だった。「今日から四年目か」とつぶやく私の胸に去来したのは、「おーし、がんばろう」といった前向きな気持ちではなく、言い知れぬ虚しさだった。
この一年、やっぱりなんの進歩もなかったなあ……。泣きたいような笑っちゃいたいような、そんな思い。

一年程前、曽野綾子さんのエッセイの中のあるくだりを読み、ナーバスになったことがある。

必要なことは、結婚生活にも、理想を求めないことである。というか、むしろしかたなくそうなってしまったその家独特の生活形態を、あるがままに受け入れる度量である。
理想どころか、平均値も求めないことだ。平均とか、普通とかいう表現は慎ましいようでいて、じつは時々人を脅迫する。


そして、私はこう書いた。

私も「脅迫」されているのだろうか。私はいま、「普通」を渇望している。
私の望む「普通」。それは毎晩家に帰ってきて夕食をとる夫を持つことを指しているのではない。私の憂いは、
「余計な心配をかけちゃ悪いな。飲んで帰るって電話を入れておこう」
「適当に切りあげて帰らなくちゃ。独身時代と同じようにはいかないもんな」
「たまにはまっすぐ帰って、ゆっくり妻と話す時間を持つか」
こういった気持ちが夫の中に希薄なこと。持っていて然るべきと自分が考える「既婚者としての自覚」と彼が思うそれとのあいだに、あまりにも大きなズレがあることなのだ。


そうしたら、ある人からこんな言葉をもらった。
「人を思いやる気持ちを他者が誰かの中に芽生えさせることはできないから。それは自発的にしか生まれてこないものだから。最善ではなく、次善を求めよう」
これまでの人生、はじめから最善をあきらめたことがあっただろうか。結果的にベターやそれ未満の地点に着地することはあっても、やる前からベストを、理想を目指さなかったことはない。
でもそうか、こればかりは最善を望んでも無駄なのか。よりによって私が最大のライフワークだと思っている事柄においてこんな妥協をしなくてはならないなんて、なんという皮肉だろう。
小町さん宛てに届いたメールを読んで泣いたのは、後にも先にもこのときだけだ。

私はなにをするにも、どこかを目指したいタイプ。なんの成果も手応えも求めず漫然と時を過ごしていると、「このままでいいんだろうか」と不安になってくるのだ。
しかし、この三年間を振り返ってみれば、ふたりで築きあげてきたと思えるものがない。そりゃあそうだ。実のある会話をしないふたりのあいだに、いったいなにが生まれるというだろう。
恋人と夫の違いがわからない。束縛と無縁の生活をしているためか、妻であるという実感もいまひとつ湧かない。そして、それは夫も同じなのではないか。これでは夫婦というより同居人だ。
どうしようもなく落ち込んだときには、それでもいいか、と考えることもある。同居人として仲良く暮らすことだけを求めるのだ、夫婦の基盤や家族の絆といったものを躍起になって得ようとはせず。彼といれば、「たのしい」と「ラク」は保証されている。それも悪くないのではないか。
この性格だから、「こんな無為な生き方をしていていいのか」という思いに苛まれることもあるだろう。まわりがみな堅実な人生を歩んでいるように見え、「自分には確かなものがなにもない」と不安に駆られることもあるかもしれない。
でも、休暇にはふたりで海外に出かけ、週末は独身の友人と遊び、こうして日記を書いて過ごしていたら、五十年くらい案外あっという間に経っちゃうかもしれないよね。
……なあんて。

「私、このままふたりだけで暮らしていくのもありかなって思ってるんよ」
私の中で結婚当初、「子どもはまだいいや」だったのが「子ども?とんでもない。うちはまだまだ」になり、いつしか「子どもを持たないという選択肢もないわけじゃない」に変化していた。
いますぐ結論を出そうとは思ってはいない。でも、私にとって子どもを作る、作らないは名実ともに夫たる人物あってはじめて考えられること。そのことは伝えておかなくては、と思った。
「いまのあなたがいい父親になれるとは思えないし、私もないの。この状態で、なにがあっても逃げ出すことのできない一生の役割を背負う自信も、勇気も」
仮に私たちが五十になったとき、子どもがいなかったとして。妻の決心がつかずぐずぐずしているうちにタイムオーバーになって……というのと、ある段階で「ふたりで身軽に生きよう」と決めて作らなかったというのとでは、道程の質はまったく違う気がする。
四年目、五年目の結婚記念日に「この一年も進歩がなかった。子どもはまだ無理だ」とため息をつくのは嫌だ。
「海外にもスキーにもこれまで通り行けるし、休みの日も好きなだけネットできるよ。子どもがいないと寂しいこともあるかもしれないけど、結婚しない人はみんなそうだし、子どもがいるから老後は安心って時代でもないし。それに、あなたもとくに子ども好きってわけじゃないでしょ」
そう言いながら夫のほうに目をやり……どきりとした。この人のこんなに悲しげな顔を見たことがないと思った。
パソコンを閉じ、夫がダイニングテーブルのイスを引いた。ちょっと驚く。私の話を聞くためにリビングからわざわざやってくるなんてまずないことだ。
「最近は……そんなことない」
なにが?
「子ども、かわいいと思う」
予想外の言葉に胸を突かれる。
そして、かつてここに記した言葉がふいによみがえってきた。二〇〇一年一月の日記の中にこんな一文がある。
「『子どもを作ろう』って思えたとき、私は本当に幸せなのだと思う」
そんな日が来るか来ないかはわからない。けれど、きっとあきらめてはいけないのだろう。
私は最善をあきらめまい、彼を好きで一緒にいるうちは。なぜなら。
「最善ではなく、次善を」
それはやっぱり、私らしい生き方ではない気がするんだよ。

【あとがき】
日記を書くということ自体はひとりで行う地味な作業だけど、そうやって自分の“中身”をアウトプットしたものがどれだけ多くの出会いを運んできてくれたことか。たくさんのエールをいただきました。ふだんはそっと見守ってくれている方がさりげなく、しかし力強い言葉を掛けてくれたり、またある方は誰にでもできる話ではなかったであろう、ご自身の話を打ち明けてくださったり。感謝の気持ちでいっぱい。本当にありがとう。