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2003年08月19日(火) コペンハーゲンにて

みなさま、お盆をいかがお過ごしでしたか。ただいま帰ってまいりました、小町です。
十日ぶりの日本はめっきり涼しくなっていて……というのを期待していたのですが、大阪はまったくそんなことはなさそうですね。帰ってくるなり、扇風機を牛馬のごとく働かせています。
すばらしい旅をしてきました。いずれも甲乙つけがたいのですが、とくに胸に残っている二都市での話にお付き合いください。

八月八日。出張先から直でやってくる夫と成田空港で待ち合わせ。「くれぐれもなくさないようにね」とまるで子どもに言ってきかせるような口ぶりで念を押されながら、旅行期間中に乗る飛行機のチケットをまとめて受け取る。
最初に全部もらっちゃうと緊張するなあ。その都度一枚ずつ渡してもらいたいんだけど……なんて思いながらぱらぱらとめくっていたら、あれ?旅の計画はすべて夫が練ったのだけれど、帰りのチケットに記された日付が聞いていたのよりも一日早い。
「あ、それね。十九日に外せない仕事が入ったから一日短くしたの」
ふうん、そうだったの。さらっと流そうとして、再び「あれ?」。最終地はパリだって言ってたよね?これ、「HEATHROW」って書いてあるよ。
「やっぱりロンドンから帰ることにしたって言わなかったっけ」
聞いてません!前もってわかっていたら、あちら在住の仲良しの日記書きさんに連絡できたのに。いかにふだんから私たちのコミュニケーションが足りないか、よくわかるというものだ。

さて、オランダのアムステルダム経由でデンマーク入りした私たち。コペンハーゲンの空港から出てまず驚いたのは、その暑さ。湿度こそ低いものの気温は日本と変わらないし、日差しの強さが半端でない。
夏の暑さがなによりも苦手な私。エアコンのないわが家から這這の体で逃げ出してきたというのに。友人たちにも「夏休み?ちょっと北欧まで避暑にね。ウフフフ」なんて言いふらしてきたというのに、真っ黒に日焼けして帰ったら格好がつかないじゃないか。
しかし、嘆いていてもしかたがない。こうなったらここに滞在している二日間で一年分の日光を浴びてやる、と腹をくくることにする。
コペンハーゲンの街には路地の至るところにレンタル自転車が停められている。二十クローネを入れるとチェーンが外れて走ることができる(コインはあとで戻ってくる)という、とても便利な代物だ。早速、私は地図を片手に颯爽と街に飛び出した。
……と言いたいところなのだが。一見、なんの変哲もないこの自転車、乗りにくいことこのうえない。
まずハンドルにブレーキのレバーがついていない。どうやってスピードを落とすかというと、ペダルを逆回転させるのである。止まりたくなったら足を後ろ回しに漕ぐ……ってそんな器用な真似ができるかい!
というわけで、バランスを崩し路上に投げ出されること三度。そのたびに「あ、これ、柔道の受身ね」「回転レシーブの練習」などと言ってごまかす私に、夫は悲しげな視線を送る。
「やっぱり自転車、乗れなかったんだね……」 (過去ログ「サイトの中の私」参照)
だって、だってね、足が届かないのだよ。サドルはもちろん一番下まで下げてある、にもかかわらず。そのため信号などで一旦停止するときにはいちいち「よっこらしょ」と降りなくてはならないのだが、そんな私を見て夫はさらに屈辱的な言葉を浴びせかける。
「ひょっとして足、短いの?」
失敬な。言っておくけど、私はジーンズの裾を切ったことがないんですからね。これはこっちの百七十センチも百八十センチもある人たちが乗るためのものなんだから、日本人女性がまともに乗れるわけないでしょ。
それにしても、ハンドルがやたら遠くにあってものすごく前のめりにならなくてはならないわ(あちらの人は高身長なので胴も長い)、サドルの前の部分がなぜかせり上がっているため、どこがとは言わないけれど、あいたたた……だわ。これはもう、公共の自転車をひとりが長く占領しないようにわざと乗り心地を悪くしているとしか考えられない。
そんな自転車にまたがって、街をヨロヨロと散策する。
ラッキーだったのはあちらの夏は日が長く、夜の九時を過ぎないと太陽が落ちはじめないため、そんなおぼつかない足取りでもガイドブックに載っている見どころは二日間でおおかた回ることができたことだ。
なかでも胸に残っているのは、「人魚姫の像」。あなたはデンマーク出身の童話作家、アンデルセンの書いたこの悲しい物語を覚えているだろうか。

難破船から救い出した王子に恋をした人魚姫はその美しい声と引き換えに海の魔女から人間の足を手に入れます。しかし、王子は外国の王女と愛し合うようになってしまう。王子の愛が得られぬときは海の泡となって消えるのが定め。人魚姫が助かる方法はただひとつ、王子を殺すことだけれど、どうしてもできない。王子と王女の結婚式の日、彼の幸せを願って運命を受け入れる決意をした人魚姫は海に身を投げ、泡となったのでした。


人魚姫の像ランゲリニエ桟橋の袂にある石の上から、愛しい王子のいる陸のほうにまなざしを向ける人魚姫。その表情がせつなくて。
彼女はとても小柄で、しかもその下半身は人魚のそれではなく、しかし人間の足でもなく。そのどっちつかずの姿が哀れでならなかった。
彼女はなにを思っているのだろう。王子を愛したことを悔やんでいるのだろうか。こんなことになるならいっそ出会わなければ、と思っているのだろうか。でなければ家族や仲間と別れることも、命を失うこともなかった、と。
それとも、もし来世また王子と出会ってもやはり恋をまっとうしようとするのだろうか。私だったらどうだろう、叶わぬ願いのためにどこまでこの身を賭けることができるだろう。
像を眺めながら、そんなことを思い耽る。私の思考のベクトルは日本にいようがどこにいようが、たいして変わらないらしい。

絵ハガキをリクエストしてくださったみなさまへ。
北欧の郵便事情はかなりよさそうだと期待してはいたのですが(中国から出したときは本当に届くのかと不安でしかたがなかった。実際、投函してから二週間以上かかった方もいた)、私の帰国より先に届いた方が何人かいらして驚いています。早っ!
いっぺんに投函したわけではないので、まだの方はいましばらくお待ちくださいね。おかげで旅がよりいっそう思い出深く、忘れがたいものになりました。ありがとう。

【あとがき】
この人魚姫の像、今年で九十歳になるそうですが、これまでには首や腕を切り落とされたり、赤ペンキを塗られたり、ブラジャーとパンティーが描かれたり……と数々の災難に遭ってきたそうです。こういう銅像ってからだの一部が切られてどこかで発見される、なんてことがよくありますが、私はちょっと背筋の寒いものを感じます。生き物ではないけれど、人間や動物の形をした物の手足を切り取るというのは単なるいたずら心でできることなんでしょうかね。のこぎりやなんかでぎこぎこやっているとき、悲鳴のようなものが聞こえてきて怖くなったりはしないんだろうかと思ったりします。