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2002年12月18日(水) タイトルのススメ

賢明な読み手の方はすでにお気づきに違いないが、そう、私はものごとを端的に述べるというのがとても苦手だ。
陸上競技でも水泳でも短距離と長距離の両方をこなす選手がいないように、「ものを書く」にも適性があるのだろう。

コピーというのは自分の感性、思想、時代背景、スポンサーからの要請などもろもろのものをギュッと締めてとがらせて、その尖端で文字を描くようなもの。ところがエッセイは脳みそをうんと柔らかくして、豆粒ほどの材料をパンのようにふくらませなければならない。両者はまったく逆の作業である。


とは、林真理子さんの弁だ。コピーライター時代は鳴かず飛ばず、しかし作家に転身してからの彼女の活躍は周知の通りである。
そして、私は長距離選手だ。短い文章で笑わせたりうならせたりする瞬発力は持たないが、好きなだけ言葉を使ってよいなら言いたいことを明らかにすることができる。長い文章の中でなら思うように身動きを取ることができる。
学生時代のレポートや論文も、「何枚以上」と指定されるより「何枚以内」と制限されるほうがプレッシャーだった。ものを捨てるのが下手な私は文章を削るのもやっぱり苦手なのだ。詩や俳句といったものは学校の授業でしかやったことがないが、そちら方面のセンスがないことは間違いないと思う。

そんな私が日記書きの作業の中でもっとも苦労しているのが「タイトルつけ」である。
テキストを仕上げることよりタイトルをつけることのほうがずっと難易度が高い。早く更新したいのにタイトルを決められずにいらいら、なんてこともしばしばだ。それはひとつのテキストをぎゅっと凝縮したエキスのようなもの。語り過ぎてはいけないけれど、中身を匂わせ興味をそそる程度の情報は含まれていなければならない。
これといったタイトルが浮かばないとき、私は目を閉じてイメージしてみる。今日のテキストを火にかけ、水分を蒸発させる。さて、鍋の底にはなにが残るだろう……。
これでもダメなときはよほど中途半端なものしか書けていないということである。
「タイトルなんてあってもなくてもいいじゃない」
「そんなにやっかいなら、べつにつけなくたって」
そんな声も聞こえてきそうだが、それがそういうものでもなくて。長く続いている漫画の第一巻と最新巻を比べるとずいぶん絵が違っていることがあるが、私の日記もかなり変化している。書き慣れたのもあるけれど、タイトルをつけるようになったことが大きな理由だ。
「タイトルをつけなきゃならない」というプレッシャーは、ともすれば「あれも言いたい、これも言いたい」と欲張ってしまう私をコントロールしてくれる。話が横道にズレてしまうのを防いでくれる。
一本のテキストの中で述べることは、基本的にひとつだけ。このスタイルが定着したのはこれのおかげだ。
タイトルというのはファッションにおけるベルトのような存在だと思う。
なんとなく野暮ったかったコーディネートがベルト一本であか抜けることがあるように、テキストもタイトルをつけてやることによって“決まる”感じがする。
もし「どうもまとまりのない日記になっちゃうんだよな」なんて悩みをお持ちなら、タイトルをつけることを意識しながら書いてみること、これをお勧めします。

【あとがき】
自分で自分の文章は過保護だなと思います。状況や心情を逐一説明したがるところがある。だから長くなっちゃうのね。
で、私は書くほうだけでなく読むほうも長めが好みです。書き手の主張があって読み応えのあるのが好き。