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2002年07月07日(日) 心変わり

今日は七夕。遠距離恋愛のカップルの記念日だなと思ったら、以前よく訪れていたあるサイトを思い出した。
遠い支社にいる同期の男の子にひそかに思いを寄せている女の子の日記。彼からかかってきた電話を取り次いだといっては「声が聞けた」とはしゃぎ、プライベートでちょこちょこ交換するメールの返事が来ないといってはうなだれて。
片想いに一喜一憂した日々なんて、私には忘却の彼方。彼にその気はないかもしれないなあ……と思いながらも、このピュアで可愛らしい女の子の行く末を見守るような気持ちで通わせてもらっていた。
ここ半年ほどご無沙汰していたことにとくに理由はない。「まだサイトあるかな」と思いながら久しぶりにアクセスしてみたら、驚いた。
なんだなんだ、とても幸せそうではないか。最後に読んだ日記には彼への届かぬ思いがせつせつと綴られていたのに、今日は「私、幸せです」が行間からあふれだしている。
毎日言葉を交わせる喜び、週末のデートへの期待、ちょっとしたやきもち。スキンシップもあるようだし(お、いつになく控えめな表現)、どうやら恋が実ったらしい。
が、私はあることに気がついた。彼女が愛しげに呼んでいる彼の名が、私の記憶にあるそれと違っている。過去にさかのぼって読んでみたが、あの彼の名はどこにも出てこない。
ああ、そうか。彼女は別の人と付き合っているのか。いま彼女の心の中にいるのはあのときの彼じゃないんだ。

どう頑張ったってどれだけ粘ったって、実らない恋は実らない。片想いで得られるものには限りがある。やるだけやって(ここがミソ)それでもだめなら次行け、次。
基本的に私はこういう考えだ。「人間、引き際が肝心」とはよく聞く言葉だけれど、恋愛においては「見極めが肝心」ではないか。
私にだって振られてからも未練がましく思いつづけていた人もあれば、気持ちを伝える勇気を持つまでに長い時間かかったこともある。しかし、いつだって根っこにあったのは「最終的には必ず一番の人とめぐり会えるんだから心配するな」という達観のような気持ち。
願いが叶いそうにないのにいつまでも待ちつづけるとか、「この人以外考えられない」状態をむやみにつくりだしてしまうのは、ものすごくもったいないことだと思う。
人は「忘れる」という能力を持っているから、何十年も生きていられるのだと聞いたことがある。つらい記憶を薄めることができなかったら八十年も生きることはできないそう。それと同じで、気持ちを変えられることで人が救われている部分も、実はとても大きいのではないだろうか。
日記の彼女の、あの彼へのせつない気持ちはいったいどこへ行ってしまったんだろうとは思う。たった半年やそこいらのあいだにこうも状況が変化しているのを目の当たりにすると不思議な気さえする。
でも、それが恋愛というものだろう。わが身を振り返っても、月日をかけてゆっくり気持ちを育んだというものより、突然降って湧いたような恋のほうが多かった。
その人が自分にとっての“ONLY ONE”かどうかがわかるのは気持ちを通わせ、肌を重ね、いっしょに過ごすようになってからの話。その境地にたどり着く前に早々と「私にはこの人しかいない」と思い込む必要はない。目を閉じて、心の赴くままに身をゆだねればいい。
いまの彼との始まりがどんなものだったかは知らないけれど、この選択は彼女をきっと幸せにするだろう。
私は静かに画面を閉じた。

ただし、「心変わり」は独身のうちだけの特権で。
今日の朝刊に掲載されていた、まだ若い女性からの投書。
「パパ、お元気ですか。私を捨て、幼いふたりの子を捨てて、新しい家庭を築けて幸せですか?」
こういう心変わりはたとえ見ず知らずの人のものでもかなりせつない。

【あとがき】
投稿者はふたりの子を持つ32歳の女性。「15年もそばにいたのに、2ヶ月程度のあいだに数回会っただけの人に本気になってしまうなんて。念願のマイホームを手に入れてわずか9ヶ月でこんなことになるなんて」。
朝からなんとも言えない気持ちになりました。見ず知らずの人の話でもこういうのはたまらなく悲しく、悔しい。