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2001年12月02日(日) 複雑な気持ち

そのニュースを知ったのは梅田の百貨店で買物中のことだった。ウィンドウに「慶祝 新宮さまのご誕生を心からお慶び申し上げます」の垂れ幕が張られるのを見て、「生まれたんだ!」。
店を出ると号外を配るおじさんがもみくちゃにされており、私もなんとか一部入手する。知りたいのはもちろん、皇子か、それとも内親王かということだ。
私の目に飛び込んできたのは「雅子さま 女児ご出産」の特大見出しであった。

その瞬間、胸に広がったのは二種類の感情だ。
ひとつは、単純でわかりやすい「わあ、よかったなあ」である。ひとりの女性が出産という一大事を無事に終えたことに対する素直な安堵の気持ちであり、「母子ともにおすこやか」への反射的な「Congratulations!」である。
ではもうひとつはというと、正直に言うと「複雑な気持ち」。文字でこのニュアンスを伝えるのは難しいが、「ガッカリ」ではなく「複雑」。皇子ではなく内親王であったことに対しての感情だ。雅子さまの立場と心境を考えると、そう思えてしまうのだ。
「お子さんの予定は?」と聞かれることに多くの女性が苦痛や抵抗を感じるということは、いまや周知の事実だ。「赤ちゃんはまだ?」がデリカシーに欠ける質問であるという認識は誰でも持っている。
しかし、雅子さまに対してだけは、国民は「一日も早くお子さまを」という要望を無邪気に、露骨に表してきた。「お世継ぎを生むことが皇太子妃の最大の公務だ」と言ってはばからない人さえいる。
それゆえ、妊娠がわかったとき、雅子さまにとってもっとも気がかりだったのは高齢出産であることなどではなく、「男の子かどうか」ではなかったろうか。「母」としては元気な子であればどちらでもという気持ちであっても、「皇太子妃」としては皇子であることを願わずにいられなかったのではないか。
まだご懐妊の兆しもなかった頃、皇太子さまは「コウノトリ問題」について、「このことに対する国民の期待の大きさ、事の重要性についてはよく認識しております」と会見で述べておられた。雅子さまがその身にどれほど重たいものを感じておられたかは想像に難くない。
だから、このたび生まれてくる赤ちゃんが皇子であったなら、雅子さまは世継ぎ問題に関わるさまざまなストレスからようやく解放されるだろう------私はそんなことを思っていたのだ。

九年前、小和田雅子さんが皇室に入ることが決まったとき、「なんてもったいない!」が口をついて出た。ハーバード大卒、五ヶ国語を話し、東大在学中に外交官試験に合格するほどの才媛である。職業人として確かな未来を持ち、若さと自信で光り輝いている女性がどうして……と思ったのだ。
その一方で、「この人ならこれまでの皇室のイメージを変えるかもしれない」とちょっぴりわくわくした気持ちになったことも事実である。
しかし、現実はどうか。「雅子さん」が菊のカーテンの向こうに消えて以降、私たちはあのきびきびとした、はっきりとモノを言い颯爽と歩くかつての姿を見ることはできなくなった。数年前、『ニューズウィーク』が「金の鳥かごに入ってしまわれたプリンセス」と書いたことがあったが、皇太子さまの隣で不得意なアルカイックスマイルを浮かべようとしている雅子さまを見るたび、私はなんともいえない気持ちになった。
が、号外を読み終え、ふと思ったのだ。皇太子さま四十一才、雅子さま三十七才。第二子への期待は残るものの、今回本当に皇室典範が改正され、女性の皇位継承が認められるようになるかもしれない。
憲法が保障する男女平等に基づき、女性天皇誕生への道が開かれる------もしそんなことになったなら。かつて「男女間格差のない仕事に就きたい」という理由で外交官という職業を選ばれた雅子さまのご出産がその呼び水になったとしたら、日本の皇室の歴史において、図らずもなんと大きな役目を果たしたことになるか。
それが雅子さまの望むところであるかどうかは別として、私は「めぐりあわせ」という言葉を思い浮かべずにいられない。

【あとがき】
テレビや新聞で皇室の方々の暮らしや活動を見聞きして、「自分もああいう家に生まれたかった」と思う人はどのくらいいるでしょう。雅子さまは「子どもを産むこと」に複雑な心境ではなかったかと想像してしまいます。