オリビエの日記

2005年03月29日(火)    『スマスマ』特別編 ��

    養護施設『希望の家』はマザーテレサさんを尊敬していた日本人、
   大森絹子さんが1997年にチェンマイの郊外に設立した。
   ところが、大森さんは4年後に肺がんで亡くなり、今は遺族とスタッフがその遺志を継いでいる。
   
    チェンマイの空港に剛君を出迎えた、高木智彦さんもスタッフの一人だ。
   27歳の高木青年はテレビでドキュメンタリー番組を観て、
   会社を辞めて『希望の家』のスタッフになった。
   その後、高木さんは『スマイル!』という、
   『希望の家』の子どもたちとの生活を綴った本を上梓している。

    古都チェンマイは周りが山に囲まれている街である。
   山に住む山岳民族が仕事を求めて街にやってくるのだが、生活は厳しい。
   山岳民族の中で親を亡くしたり、
   子どもを養っていかれなくなった人の子どもを養っているのが『希望の家』である。
   高木さんのスクーターの後ろに乗って、
   剛君は田園風景の中にある『希望の家』に到着した。
   剛君はここで3日間を過ごす。
   6歳から20歳まで19人の子どもたちのお母さんは、
   42歳のタッサニーさん。
   ゲストルームに通された剛君は「きれいだ」と驚く。
   後に子どもたちの部屋も映ったがとてもきれいだった。
   この施設は日本からの支援でまかなわれているという。

    裏庭に回った剛君は、
   自立のためにキィホルダーを作っている男の子たちの中に入っていく。
   作っているのはドングリに顔を描いたような、木で出来た可愛らしいキィホルダーである。
   剛君も挑戦しますが、なかなか思うようにいかない。
   そこで剛君は優しくしてくれたピーター君という11歳の少年と最初の友達になった。
   
    子どもたちと遊び食事をした後、剛君は『希望の家』の設立者、
   大森さんの遺影を見ながら、大森さんの志を聞くのだった。
   夜には自己紹介をし、交流を深める剛君。
   コンサートで歌いながら踊る剛君の映像を観て、
   子どもたちは剛君と映像を見比べたりしている。
   その後、剛君は得意のタップダンスを子どもたちに教えて一緒に楽しそうに踊った。
   剛君と子どもたちの距離が少しずつ近づいているようだ。


    チェンマイに到着して『希望の家』に来る前に、剛君はチェンマイのスラム街を見て回った。
   異臭が漂う運河の上に建てられた粗末な小屋。
   出稼ぎに来た大半の山岳民族出身者が、こんなスラム街で暮らしているという。
   多くのエイズ感染者やヘロイン中毒者。
   映像はそれらの人たちやその子どもと話している剛君を映した。
   この人たちが亡くなった後にとり残される子どもたちのことを、剛君は語る。
   最後に訪れたスラム街で、剛君は驚きの声をあげた。
   スラム街の家の窓からは、窓と同じ高さに道路が見える。
   道路とスラム街の間には鉄線が張られていた。
   鉄線の外側には若者たちが集まる最新のショッピングセンターがあった。
   店に飾ってあるカラフルな洋服や、食事をしている若者の姿は鉄線の中とは別世界だった。     


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オリビエ [MAIL] [水平線の海と空]

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