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| 2005年12月02日(金) |
私の声が聞こえますか。 |
中島みゆきのデビューアルバムのタイトルだ。 彼女は北海道出身の人で、私は彼女の後輩になり損ねた。 彼女の出身大学を受験して、落ちたと言うだけの事なのだが。 別に「みゆきさんの後輩になりたくて」受けたわけではなくて 数学が余りにも出来なかったので、国立大の受験は無理だったのだ。
一行1,000万、おいしい生活。バブル華やかなりしOL時代。 誰も彼もが確かにどこか浮っ付いていたけれど、通信システムは今と だいぶん違っていた。まず携帯電話がない。PHSですら、かなりあとに なって広まった物だ。 せいぜいあったのが自動車電話。 少なくとも、地方都市ではそうであったと思う。
浮っ付いた心は外へ向かう。誰かと何か話したい。思いを伝えるのは ピンクチラシでびっしりの公衆電話。普通の家の電話。 あとは会社の内線電話。
携帯電話は形状記憶合金のようだと、普段は余り使わない私は 他人が 使うのをみるたび思う。持つ人に合わせて、在り様まで変わるようだ。 外見は可愛くプリントしたり、ビーズやラインストーンを貼ったりだが 実際、個々で大きく違っているのは中身だろう。 PCだって、それを言えば同じなわけだが、携帯電話はやはり電話と 言うだけあって、どれほど色々な機能が充実しても、やはり通信に特化 している。PCは、一方的な発信として使われる事もあるが 携帯電話には相互と言うイメージがある。電話なだけに。
浮付いた時代を知っていても、馬鹿話は声でしていたと言う自分には 時折、PCのチャットでもそうなのだが、無性に寂しく感じられて 仕方無い事がある。表現を伝わり易く、豊かにするための顔文字も 不安感を煽られるだけの時がある。 逆に顔文字がないと不安と言う人もいるだろうが。
掲示板などは匿名は別として、手紙に近いので、違和感は少ない。 メールソフトを使ったやり取りも、やはり手紙に近い。
チャットや携帯メールが自分は苦手なのだろう。 携帯メールは、その人の事をかなり知っていても苦手かも知れない。 だから普段は電話を使う。
チャットやメールの隙間から、その人の事が見える。 密にやり取りしていれば、結構、はっきりとみえる。 だが自分の見ている物は、その人の性質に合わせ変質した携帯電話そのもの の様な、そんな気がする事もある。チャットもしかりだ。 相手も自分を、そんなふうに見ているのだろうか。 そもそも自分が、何を伝えようとしていたのか、それすらも判らなくなる。
人は触れ合うのが一番良い。何も言わなくとも判った様な気になれる。 間違っている事もしばしばあるが。
言葉は選び、ゆっくりと一つずつ書き込んで行くか、そうでなければ本当は 身体から直接つながる喉から、大切に発するべきなのだろう。
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