目次 / 戻る / 進む
私の短大時代のあだ名はシモネッタ。
シモネッタと聞いてどんな女性を連想しますか? 麗しきシモネッタ・ヴェスプッチ。フィレンツェのマドンナ。 ボッティテェリやピエロ・デ・コジモの絵で有名な永遠の美女。 でも、やっぱり美人だなあと思ったら普通はそこまで遠回しに 大げさな例え方はしないだろう。
私がシモネッタと呼ばれていたわけはシモネタが好きだからだ。 でも『麗しのシモネッタ』がまるで無関係と言うわけでもないのだ。 当時短大では美術の講義があって、単位とるのが割と楽なので ほとんどの生徒がこれを受けていた。ここでルネッサンスをやっており そこにシモネッタの肖像が出て来たのである。 それで友人が、私をシモネッタと呼び始めたのだった。
昼休みになると、部室(放送部)に集まり、延々とシモネタをやる。 嫌いな人には辛かったのかも知れないが、来る事は来るんで部室はパンパン。 ところが、その頃の私はと言えば、男性と手を握った事もない。 男の子と付き合うと言う事すら考えると怖かった。オクテだったのだ。 だから耳年増によるシモネタ話だ。今考えると嘘もたくさん混じってた。 だけど下品な事はものすごく下品だった。
当時、もう男性と 大人と変わらないお付き合いをしている子もいて 時々、情報を教えてくれるので、それについてああでもないこうでもないと 延々とやるのである。 試験はノートコピーで やっと卒業した(汗) 馬鹿馬鹿しいけど楽しい時代だった。
勤めが始まってから、シモネタ話からは遠のく。人の話を聞く事が 多くなった。ほとんどは男性との行為を具体的に聞かされる。 ちょっとした馬鹿話を 入れる余裕などなくなった。寂しい事だ。 私は上滑りなお下品話をつらつらするのは好きだが、具体的な男女の 行為について細かく触れるのは実はとても苦手だ。 恥ずかしいのだ。意外にも。 ものすごく話に具体性があったりすると、ふらっとなってしまう。 それと、その時話題になった男性の顔がもう見られないのである。 下品はネタである。ネタだからこそお下品なのだ。
おばさんになっても、やっぱりシモネタ話をする機会は少ない。 理由は色々あるけれど、「出来ない環境」にあるからかな?とも思う。 他の同年齢の女性は、普通にしているが、私はちょっと出来ない。 カレシ出来たの? とか悪気じゃないんだけど聞かれちゃうから。 だから突っ込みも入れられない。これまた寂しい事なのだ。
仕方ないので最近は年齢を下げて、息子相手にシモネタをやっている。 だが、これにしたって、いつまで相手をしてくれる物やら。 取り敢えずホー○イの自己治療に役立つ「ちん○んの歌」と言う物を 作ってみた。痛いので我慢する時に歌う、大漁節みたいな歌だ。 これはシモネタの中でも役に立つ方だと思う。
ところが珍しい事に、最近は男女混合時に私はシモネタをやっているのだ。 合わせてくれる人がいるので私は楽しいが、困っている人もいるだろう。 ご免ね>< 顔が見えないからこそ安心して出来るわけだが、顔が見えても 出来そうだ。 そう言う仲間と過ごせる時は、少しだけれど学生の頃に 戻ったようで 心が華やぎ、かつ休まる。
だが、私は自分の事を女だと最早ほとんど考えていない。 学生時代は勿論、まだそう言う気持ちがあった。まだ見ぬ世界への憧れも。 『生涯一下品』 『母ちゃんなのに下品』 今、自分に呼称をつけるならこんな感じか。
|