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「もったいない〜」 マータイさんのような事を言っているのは近所のS君。言われているのが うちの息子だ。何を勿体無い事をしているのだろうか。 「お兄ちゃんがトンボ採ってくれた。1匹ずつね」 家に入る前に息子が放したので S君がもったいない〜と言ったのだ。 確かに彼らにとって トンボの手づかみは中々難しい。
トンボの種類はシオカラトンボだ。私は内心「しょっぱいとんぼ」と呼んでいる。 シオカラだからではない。あんまり綺麗じゃないと思うからだ。 それでも情緒はある。やがて彼らは地面に落ちて、風に吹かれてあちらこちらへと 落ち葉のように移動して行く。そのあと、銀杏が本格的に色づき始めるのだ。
私が5歳の時、住んでいたK区(当時はT区)は あちこちが造成の真っ最中だった。 広大な造成地の直ぐそばに小さなアパートを借りて私達は住んでいた。 隣りには、私や弟とやはり同じ年頃で 性別が逆になっただけの兄妹が住んでいて 私達は良く一緒に遊んだ。 今、母に尋ねると そこには1年と暮らしていなかったそうだが、秋をまたいで 暮らした事は間違いなかった。
アキアカネと言う真っ赤なトンボがいる。しょっぱくなくて綺麗なトンボだ。 でこぼこで結構危険な造成地に勝手に入り込んで、私達は遊んでいた。 そこにある時、アキアカネが集団で飛んで来た。夕焼けで赤いのかトンボで 赤いのか、その両方で赤いのか。 私の記憶には、ただ赤くなった空がある。 アキアカネは今考えると、造成地に溜まった水に産卵に訪れたのであろう。 あれは雨上がりであったのだ。足元はどろどろだった。それも憶えている。
5歳の子供が手を伸ばしても、低く飛んでいるトンボは容易に捕まった。 むんずと握ればトンボは採り放題だった。 どうしてその時、そんな事をして遊んでいたのか それが面白いと思ったのかは 記憶にないが、私はトンボを掴んでは首を千切り、胴体と一緒に泥に混ぜた。 料理の真似事でもしていたのかも知れない。が、ちょっと違う気もする。 赤いトンボをつかまえては 首と胴を放し、泥と一緒にかき混ぜる。 それを延々とやっていた。空は真っ赤だった。 当たり前だがトンボの身体などもろい物だ。草なんかより余程簡単にぶちぶち 引き千切れた事だろう。
もしも私に絵が描けたなら、あの日の赤かった空とそれを覆うような無数の やはり真っ赤なトンボ、どこか寒々しくだだっ広い造成地の真ん中で、無心に 何かを捏ねている 小さな女の子の絵を、描いて見たいなと思う。
ところで千切る気になれば子供でも千切り放題のトンボ君だが、あの凶暴な 口に鼻をそっと近付けてみると、びっくりするくらい痛く噛み付いてくれる。
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