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私は母方の祖母の家で生まれ(でも出産は病院)そこを出たり入ったりで 小学校低学年までを過ごした。 母は夜も働いていた時期があり、祖母が私と 弟を寝かし付けてくれた。 祖母の話は怖い。「この家はね、因縁の家なんだよ」 しかも全くさり気無く話すんだから本気で怖い。因縁の家である事は祖母に とっては当たり前の事なのだ。怖い。ではどこら辺が因縁なのか。 「そもそもは昔、○○村の親戚の小母さん一家5人が殺されて」 怖いっ。だが私はこれを寝物語に聞かされて育ったのである。 祖母は話題が豊富な人ではなかったので、何回も何回もこれをやるのである。
この話については親族全員が知っていた。だが本当にそんな事があったのかどうか 誰も知らない。『そう聞いた』と言う都市伝説みたいな事になっている。 そして、何かと言うと『うちは因縁の家だからねえ』が合言葉になっていた。 脅かされて育った私は面白くない。大の大人が何が因縁かと少し大きくなったら いきなり反抗心がむくむくと。 事件は事件、後々の因縁扱いは 被害者である親族に対して失礼ではないのか。 ○○村は北海道。先祖がこちらに渡って来たのはそう何代も前ではない。 誰も知らないと言う方が、むしろ変なのだ。これはどう言う事なのか。 事実である確率は10%程度と私は踏んでいた。
実際に調べる事にしたのは 父方の家系に興味を持った頃に近かったと思う。 大きな図書館に行って、新聞(何か小さなスライドみたくなってる)を片端から 調べたのだ。 判っているのは戦前である事、冬である事、村の名前、これだけだ。 2日かかったが、それが事実であった事をようやく突き止めた。 被害者は曾祖母の叔母である。曾祖母は私が10歳を過ぎるまで生きていたが 生前、被害者に関する話をした事は無かった。どうやら曾祖母も余り詳しくは 知らされていなかった様である。・・・昔だからねえ。
私は問題の新聞記事をコピーして意気揚々と家に帰った。 それがちょっとした事件を引き起こした。母も母の従兄弟達も誰も、話については 半信半疑だったらしいのだ。まず事実であった事に驚き、意外と近い親族に 起こっていた事だったのに驚いた。 そして母と親しい従兄弟の夫が、事件に絡んだ人と同姓であり、かつ同じ村に 先祖を持つ事が判ったのである。 こう言うのをクローゼットの中身を引っ掻き回す行為と言うのだろうか。 とにかく余り、やってはいけないのかも知れない。
本気で心配した親族が調べた結果、事件とは無関係の一族と言う事が判った。 だが私は何をするか判らない人間と周囲に思われてしまった様子だ。 とは言え、因縁扱いは止めろと言う主張は通った。それからは誰も不幸な 事件に巻き込まれた親族を寝物語に語る事はしなくなった筈だ。
細かい調べ物は今も好きなんですよ。でも調べた結果がどうなるかとかは 余り考えた事がないです。
余談・・・当時の新聞の 広告文の余りの素晴らしさには全くぼ〜っと なってしまいました。デザインも秀逸な物多し。広告の原点を感じたのを 憶えてます。調べている方も結構いい加減な態度だったと言われれば、そうで。
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