目次 / 戻る / 進む
北海道ではちと珍しい姓、焙煎(仮名)。だが、ご先祖の出身地では普通にある 苗字なんだろうと思っていたら、そちらにも大変少ない姓である事が電話帳で判明 したと言う所までが前回のお話。
祖父の兄が子孫を残しているらしい事は判っているので、僅か7軒ある焙煎は オール親戚に違いないと、家族で確かめに向かったのが私が24の時。
「いきなり北海道の焙煎ですって行くのはどうか。まずいんじゃないか」 幾ら少ない苗字でも、だからなんなんだと思われるに違いない。 既に河北郡に着いてしまった後で 途方に暮れる3人。7軒のうち1軒が食堂を 経営している事を知って僅かな光明が。 「食べながら言えばいいんだよ。お客さんなら話を聞いてくれるって」 もしかしたら父の従兄弟かも知れない、石川県の焙煎さん経営の食堂へ。
ご主人は非常に気さくで、良い方だった。ご飯も美味しかった。 だが初っ端から違和感があったのも事実。 似ていないんである。そりゃ兄弟でも 似てないって事があるんだから、従兄弟ともなれば当たり前でもあるのだが 「こりゃ違う」 と直感するほど似てない。そこでご主人に色々尋ね、随分と変わった 事情が判明した。 ご主人いわく 「この辺りの焙煎と言う家には元々2つの流れがあった。互いに行き来はありません」 要するに不仲であると暗に言うのだ。7軒のうち6軒が食堂の焙煎さんの 親戚だと言う。・・・6:1。明らかな少数派が うちの親戚かい。 2つの流れと言っても、元は一つであるのは明白だ。だが1代2代前に親族関係が あったと言う近さでもないらしい。
翌日、お役所に行く。祖父の戸籍の写しを見るためだ。 「実は観光がしたいのよ」と母。もっともな事である。 戸籍の写しは問題なく取れた。それを見た私は、さすがにちょっと驚いた。 祖父の兄弟のうち男は3人、うち一人は幼くして亡くなっている。祖父の妹で2歳で 生を閉じた女の子の名を 祖父もまた自分の子に付け、やはり2歳で亡くしていた。 祖父の兄は普通の寿命であったが、多くもうけた子供達を やはりことごとく 若くして亡くしていたのである。
男性が一人だけ、現在も存命であり、それが7軒のうち少数派1軒と言う事の様だ。 食堂の焙煎さんの言う通り、戸籍では他の焙煎さんとは 特に近い親戚関係には 無いようである。「うひゃ〜」 何となく、色々な事を一気に考えさせられたのを 憶えている。
事前に電話をしてから、残り1軒、従兄弟の焙煎さんを訪ねる事にする。 会ってビックリ、伯母さんにそっくり。やっぱり親戚ってこんな感じだよね。 庭の樹が綺麗な家であった。私はこの親戚のおじさんと もっと沢山話してみたいと 思ったが、うちの父は嫌われる人にはあっさり嫌われるタイプなんで、せっかく 見付けた従兄弟にまで初対面で嫌われた様子である。とほほ。 それでも、ぽつりぽつりと重い口を開いて下さったが、ご自身は娘さんが お一人と言う事で「婿養子を取ろうと思っているんです」と話していた。 「うちの焙煎が、絶えてしまうからね」 祖父と祖父の兄、男の子は1人ずつが中年期を迎えられただけの様であった。
それから15年。代が変わり、北海道で祖父が残した二人の男の孫から、どれだけの 焙煎が増えたかと言うと・・・ゼロ。 弟は独身。もう一人の男の従兄弟には家庭があり、立派な男の子が2人いたが 私の息子が生まれて直ぐの頃に離婚して、子供は奥さんの姓を名乗る事になったのである。
父の兄で、やはり30代で亡くなった人で、事情があって男の子を養子に迎えた人がいる。 旦那さんの死後、奥さんは再婚したが、男の子は焙煎姓を名乗り続け 今ではしっかり家庭を持ち、20歳前後の男の子と女の子が一人ずつ居ると言う。 その男の子と、色々事情があって うちの息子だけが目下、北海道出の次世代焙煎君達となる予定だ。 リアル椅子取りゲームのような、微妙な縁起の悪さが生じてしまう焙煎の家系。 思うに、珍しいには珍しいの理由があると言う事なのだろう。 増えない、でも何故か無くならない。だから珍しい。 だが、石川県に行った時、焙煎村の存在は資料館で確かに確認したのである。 前田家の時代の、年貢を納めている村一覧みたいな所にあったと思う。 昔は確かにあった焙煎村。そのうち2つに別れて、減る一方。そんな感じらしい。
ところで、初めに話を振って来た珍名課長さんだが、その後結婚された。 相手は再婚の方で 連れ子が3人と言う事だった。その時も相当ビックリした。 そのうち二人の間にも 性別は忘れてしまったが、お子さんが出来た。 一気に4人のお父さんである。男の子が2人くらい いたはずだ。
結局、石川県の食堂焙煎さんと親戚焙煎さんとは今も年賀状のやり取りをしている。 食堂焙煎さんとはお中元のやり取りもある。毎年、美味しい葡萄を送って下さる。 食堂焙煎さんは『一度遊びにいらして』と言って下さるし、親戚焙煎さんからは 「娘が婿養子を貰いました」と言う年賀状に 男の赤ちゃんの写真が添えられて来ていた。
|