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2005年08月16日(火) 夢の焙煎村・・・前編


「焙煎ちゃん、焙煎ちゃんの苗字って珍しいでしょ? 北海道に あとどのくらい
あるか知っている?」

会社時代、課長にいきなり話し掛けられた。
「知ってます。隣りの小樽市にあと2軒、叔父叔母です。札幌はうちだけですね」
「やっぱりなあ。うちはね、北海道ではオレんちだけなんだよ」
自分が比較的珍名さんだとは思っていたが、その人の姓を聞いて、それほどは
珍しい姓だとは思って居なかったので、少しばかり意外な気がした。
「出身地ではもう少しあるみたいなんだけどね、でも少ないんだよ。焙煎ちゃんは
ご先祖の出身地知ってるの?」

「知ってます。そちらでは結構多いと思うんですけどねえ」

石川県河北郡、祖父はそこから北海道の小樽に単身 移って来たらしい。
この珍しい姓は前田利家の時代の記録にあるとか無いとか(年貢の記録かなんか)
とにかく、その地方の姓で間違いはないらしい。そう聞いて育っていたので
こっちでは珍しいが石川県には焙煎村とか、右隣も左隣も焙煎と言う土地が
あるのかも知れないなと思っていた。
別な課長が、別な時に こんな事を言っていたのを聞いた事があるからだ。
「オレの姓は北海道には少ないけど、○○県にはS村ってのがあってSって
苗字ばっかりなんだよ」

うちもきっと、そんな具合だろうと思ったのだ。まだ見ぬ焙煎村
会社帰りに、NTTのサービスコーナー(と言ってもかなり昔。今とはサービス内容も
全然違う。当時は公衆電話が並んでたり)の前を通るのだが、そこに全国の電話帳
置いてある事に気が付いて、或る日 焙煎村の存在を確かめに私は立ち寄った。

石川県河北郡・・・あるにはあったが、焙煎なんて姓はどこにも無い。
いや、あったっ!あったぞっ7軒だけ
「話が違うではないか」 そんな気がして東京の電話帳を開く。きっと都会なら
焙煎も何時の間にか渡り広まり、定着して居るに違いないぞ。
23区と近郊があるので、とても全部は無理だったが、調べられる限りは調べた。
ないんである。確か1軒も見付けられなかった。

その日を境に私は焙煎の姓に疑問を感じ、また興味を持った。
祖父は私が生まれる丁度一年前、亡くなっている。 祖父の一周忌の翌日、私は
生まれたんである。祖母は父が高校生の時に亡くなっている。
父は10人兄弟の末っ子であった。現在64歳、長兄は戦病死している。年の離れ様が
判ると言う物だ。
男5人、女5人であったが、男で42の厄を越えられたのは父だけである。
祖母は肝臓に病気があったらしい。産道を通って来る際に、それが子供に次々
感染してしまった。父も同じ病を持つが、何故か全く重くならない。酒は飲み放題
煙草吸い放題人生
だと言うのに。
父の姉妹は結婚して、子供を生むが、やはり産道を通る際に同じ病になった人が
多く居る。私の従兄弟達だ。皆、私よりずっと年上で 医学も今ほどは色々と
判っていない時に生まれたから仕方が無いのか。大体が家で産んだそうだし。
我が家は病気を持つのが父であったため、私と弟には 感染している様子は無い。

10人子供を生んだ祖母。だが、私達の代で 焙煎の姓を名乗る男子で、実際に祖父の
血を引いている者は2人。うちの弟と、従兄弟が一人。

私は電話帳で見た結果を両親に話した。夢の焙煎村(考える方もちょっとアレだが)
など、どこにも無いらしいと言う事を。それよりこれでは、親戚自体おらんぞと。
父は祖父から、河北郡の親族の話をほとんど聞いた事は無かったが、祖父には
兄がおり、既に亡くなっている事は聞いていた。河北郡の電話帳の7軒が父の
従兄弟なのか。
珍名課長の一言が、思わぬ波紋(大げさ)を呼んだ。
その直後 母が大病をしてしまったので、焙煎姓のルーツを探るためだけ
家族3人(弟と母方祖母が留守番)で河北郡へ出掛けるのは、それから3年後の
事になる。

珍しく続きます。続き物風に書くと、私達3人はそこで思っても居なかった
物を見る事に・・・っ
 てのはやはり大げさですな。

それと焙煎は仮名です。そりゃそうだ。



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