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坊主憎けりゃ袈裟まで憎し 判るような判らないような面白い諺である。 袈裟は坊主とほぼ一体だが、それ自体は無機物で 自分から嫌われる理由など 持つ筈も無い物だ。 それほど 説明出来ない理不尽な心理が、憎しみには 働くと言う事なんだろう。
旦那憎けりゃ背広も憎い どうだろう。今作ったんだけど 何だか違っている。 旦那嫌いだから旦那のネクタイも嫌い こっちの方がありそうな気がするが、憎しみはずっと弱まる感じだ。 親が憎けりゃ子も憎い うう、洒落にならない。だが坊主憎けりゃとは、実際は こっちのが近いと思う。 憎しみはほとんどの場合、生きている物に強く向く。
私は一度、老いた文鳥を家に置いていた事がある。 色々曰く付きの この文鳥を引き取る事に 私は全く乗り気ではなかった。 放って置いたら死ぬのだが、それでも引き取る事には 積極的で無かった。 私は元々、それほど生き物好きじゃないのだ。この時には特にそう思った。 だが結局、文鳥は家で飼う事になった。母が頑固に飼うと言い張ったからだ。 「文鳥に罪があるわけじゃなし」 だが、そうだろうか?
文鳥は、かなり年老いていた。看取ってやるだけのつもりであったが、 これが案外長生きした。 ある夜、ププププププと言う 文鳥独特の鳴き声がする。 居間には私一人で あった。小屋にかけていた布を退けてみると、伸びた爪が止まり木に引っ掛かり 文鳥は逆さまになっていた。 気性のきつい鳥で、しかも弱っており、爪も容易に切らせなかった。
文鳥は羽根をばたつかせ、ププププ言っている。居間には私だけ、誰も 見てません。 朝まで置いておいたら、死ぬな〜これは確実に。 結局元には戻したが、どうにも面白くない。良い事をしたと言う気が、 ちっともしない。 そのままにして置いた事を一生忘れられずに居る事より ほんのちょっとマシだと言うだけの気持ちだ。 袈裟なら燃やしてやるのだがと思うが、それでもすっきりする筈も無い。 結局、一度憎いと思ったら何を殺そうが燃やそうが、すっきりなどしないのだろう。 憎しみは自分の中で時間をかけて昇華するしかない。物凄く厄介な感情だ。 一方、燃やすなり、壊すなりしてでも排除したいと切に願ってしまう物に 恐怖があると思う。これも厄介な代物だろう。
旦那は嫌いじゃないがフィギュアやグッズが憎い と言う話を聞いた事があるのだが、これはこれで大変そうと言うか。
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