もうちゃ箱主人の日記
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2010年05月28日(金) 針生一郎さんの訃報

1970年代に次々に発刊された「針生一郎評論」は
まぶしかった。

よい読者にはなれなかったが
吉本隆明と並んで
私の青春時代のカリスマの一人である。


各紙の訃報の中で
この評論集成に触れてないところがあるのは
寂しい。
(整理部のチェックが、なってないぞ!)


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美術評論家の針生一郎さん死去 前衛芸術批評
2010年5月26日21時14分

反権力の立場から前衛芸術批評を手がけた美術評論家で、「原爆の図 丸木美術館」
(埼玉県)の館長も務めた針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日、急性心不全で死去した。
84歳だった。  《中略》

仙台市生まれ。東北大文学部卒、東大大学院で美学を学ぶ。
美術家の岡本太郎や文学者の花田清輝、安部公房らによる前衛芸術の研究会「夜の会」に
参加。戦後の芸術運動の最前線で活躍した。美術のほか文学の評論も手がけた。

軍国少年だったことへの反省から、民衆の側に立った歴史と平和を探る思想を模索。
戦後、日本共産党に入党したが1961年に除名された。
70年の大阪万博では、万博に反対する運動に参加。第三世界の芸術家との連帯を目指す
活動でも知られた。
68年にイタリアの国際美術展ベネチア・ビエンナーレの日本館コミッショナー、
99〜08年、美術評論家連盟会長。和光大学名誉教授。
著書に「針生一郎評論」全6巻、「戦後美術盛衰史」など多数。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0526/TKY201005260429.html

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針生一郎氏死去 前美術評論家連盟会長

 針生 一郎氏(はりう・いちろう=前美術評論家連盟会長)26日午後0時2分、急性心不全のため川崎市宮前区の病院で死去、84歳。仙台市出身。《中略》

48年東北大卒。東大大学院で美学を学ぶ傍ら、花田清輝、岡本太郎らと芸術グループ「夜の会」で活動。美術界の旧弊を批判して前衛美術評論の草分けとして活躍、文学・社会など幅広い評論も展開した。韓国・光州ビエンナーレなどで問題提起的な展覧会を手がけ、日本アジア・アフリカ作家会議代表世話人などで第三世界にも目を向けた。新日本文学会代表世話人も務めた。

 和光大、多摩美術大、岡山県立大の教授を歴任。原爆の図丸木美術館(埼玉)、金津創作の森(福井)の館長に就いていた。著書に「戦後美術盛衰史」「わが愛憎の画家たち」など。
2010/05/26 22:10 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010052601001051.html

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2010.5.26 21:10

針生一郎氏死去 前衛美術評論の草分け

前衛美術評論の草分けで、文芸や社会評論まで幅広く手がけた針生一郎(はりう・いちろう)氏が26日午後0時2分、急性心不全のため死去した。84歳だった。《中略》

 東北大を卒業後、東大大学院で美術を専攻。大学院在学中に花田清輝、岡本太郎らの「夜の会」に参加し、評論家としての素地を作った。昭和28年、共産党に入党したが、35年の安保闘争で共産党指導部を批判して除名処分に。その後は文学、美術、建築、デザインなどジャンルを超えた文化全体で批評活動を展開する一方、国際美術展などの企画にも携わり、若い芸術家に大きな影響を与えた。
 和光大教授、岡山県立大教授などを務めた。主な著作に「修羅の画家」「針生一郎評論(全6巻)」など。
http://sankei.jp.msn.com/obituary/100526/obt1005262111001-n1.htm

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文芸・美術評論家の針生一郎さん死去=前衛芸術評論で活躍

 戦後の前衛芸術批評をリードし、原爆の図丸木美術館(埼玉県)館長としても知られる文芸・美術評論家の針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日午後0時2分、急性心不全のため川崎市の病院で死去した。84歳だった。仙台市出身。《中略》

 東北大文学部卒業後、東大大学院で美学を学んだ。ダダイズムやシュールレアリスムなど前衛芸術への関心を高め、文芸評論家の花田清輝や美術家の岡本太郎らと交流。美術のほか文芸、社会評論で活躍し、美術評論家連盟会長も務めた。金津創作の森(福井県)館長、和光大名誉教授。著書に「修羅の画家」「戦後美術盛衰史」「三里塚の思想」など。 (2010/05/26-22:13)
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2010052601100

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戦後美術の代表的論客、針生一郎氏が死去

 戦後美術を社会的な視点から論じた美術・文芸評論家の針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日午後0時2分、急性心不全で死去した。84歳。 《中略》
 仙台市生まれ。戦後美術の代表的な論客として旺盛な執筆活動を展開。美術と社会の関係を重視し、アジアなど第三世界の芸術家との交流にも尽力した。2000年の韓国・光州ビエンナーレの特別展示「芸術と人権」を企画した。和光大教授、美術評論家連盟会長、埼玉県の「原爆の図 丸木美術館」館長なども務めた。

 戦後、文芸評論家花田清輝らの「夜の会」に参加するなど、美術以外の文化にも関心を寄せ、「新日本文学」の中心メンバーとして文芸評論も執筆した。02年にはその人生と思想を追ったドキュメンタリー映画「日本心中」が製作された。代表的な著書に「戦後美術盛衰史」など。
(2010年5月26日21時50分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100526-OYT1T01055.htm

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訃報:前衛美術評論の草分け、針生一郎さん84歳

 前衛美術評論の草分け、針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日午後、急性心不全のため死去した。84歳。 《中略》

 仙台市出身、東大大学院で美学を専攻。画家、岡本太郎らの前衛芸術研究グループ「夜の会」に加わり、アバンギャルド芸術評論の第一人者として活動。日本共産党に入党したが、安保闘争などをめぐる党の指導を批判し、61年に除名された。

 「原爆の図 丸木美術館」(埼玉県)や金津創作の森(福井県)の館長、美術評論家連盟会長などを務めた。和光大名誉教授。日本アジア・アフリカ作家会議代表世話人として、海外の芸術家とも積極的に交流。文芸評論家としても知られた。「戦後美術盛衰史」など、著書多数。

毎日新聞 2010年5月26日 21時35分(最終更新 5月26日 23時22分)

http://mainichi.jp/select/person/news/20100527k0000m040074000c.html


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