もうちゃ箱主人の日記
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2009年08月27日(木) ここのエレヴェーターがすごい!

頂いたチケットで
美術展2つ。。

実は
日本橋にコレドができてから
一度も行ってない。
ずいぶん様子が変わったらしいので
行こう行こうと思ってたんだが
いつも地下鉄で通過するだけで…

この際、その風景も
見ておこうと思って…

最初に
三井記念美術館
  まず、ここのエレヴェーターが、すご〜く豪華で驚いた!
    カゴの中が、素晴らしい木張りなの!
  さらに、入室してすぐの閲覧室(展示室)がすごい!
    ここも壁が木張りで、窓は蔵みたいな観音開きで
    レトロな鍵が付いておる!

  まさに、バブルの再来じゃ!
   つい数年前完成したはずなんだが
   構想はバブル期のものだったんだろう。

で、申し訳ないが、展示には、あまり身が入らず……(^^;)

(「道教の美術 TAOISM ART」
 http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html )



せっかく日本橋行ったもんだから
お隣の三越で、萩焼の三輪休雪展に

私は、これまで
第十代と第十一代三輪休雪の作品を
よく見てきた。
当代の作品をみるのは
殆ど初めて。
斬新で、
先代(まだ健在)の人間国宝とは
 ずいぶん作風が違う。。

このへん、萩焼の面白いところ。

(帰ってから、wikiで調べたら↓
 先代も、先代、先々代も、その前が健在な内に名を譲られたそうで
 この家独特なことだと思うが
 面白い習慣だなと思いました (^^))

しかし、この展覧会は
無料の客(私もそうだが……(^^;))ばかりと見え
騒がしくてかなわん。。
(私は、招待券もらって行ったのだが、
 貼り紙見たら、三越カード提示すれば、だれでもOKだった)

展覧会は、来る客のレベルも選ばんとね。
 (エラそうにすみません。… (^^;))

http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=276121

 >三輪休雪氏は、1940年萩の名門三輪家に生まれ、
  2003年十二代休雪を襲名。東京藝術大学修了


ついでですが
いくら、ニッパチとはいえ
三越のふんいきが暗い。。

あとで知ったが
この日、1000人の希望退職募集が発表されていたのね。
かつての三越を知る者にとっては
感慨無量。。



この日の感想:
 エレヴェーターがすごかった! 
  
  〜えらくレベル低い感想で、すみません







WIKIから

>@ 第十代三輪休雪。
三輪休和(みわ きゅうわ、1895年4月20日 - 1981年10月24日)は
日本の陶芸家。1970年に人間国宝に認定。本名は邦廣。

略歴
山口県萩市にて、江戸時代初期から萩藩の御用窯として代々萩焼を継承
していた三輪窯の次男として生まれる。
1910年に旧制中学校を中退し、八代である祖父・雪山、
九代である父・雪堂に師事。作陶への道を進む事となる。
1927年に雪堂が隠居するにあたって、十代休雪を襲名した。

1942年に川喜田半泥子、金重陶陽、荒川豊蔵らと「からひね会」を結成
する。
「従来の桃山茶陶に固執するのではなく、時代に心を通わせた作陶を」と、自由な思想の元で互いの交流を深めた。
同時に焼成の方法を根本から見直すことに励む。
1956年、山口県指定無形文化財保持者に認定される。
1959年には萩焼陶芸会会長に就任。

萩焼の原型である高麗茶碗を研究し、高麗茶碗に和風を取り入れた独特の
作風を完成させた。
特に萩焼の特色である白釉に関しても独特の技法を編み出し、
「休雪白」とよばれるようになった。
1967年に弟である節夫が十一代休雪を襲名し、自らは休和と名乗る様に
なる。

1967年に紫綬褒章受章。1970年4月25日、重要無形文化財「萩焼」保持者に
認定。陶芸の中では比較的歴史の新しい萩焼を、瀬戸焼や備前焼等に
代表される古窯と同等レベルにまで引き上げることに貢献した。
1972年に萩市名誉市民となり、翌1973年、勲四等旭日小綬章を受賞した。
1981年逝去。

・・・・

>第十一代三輪休雪。
三輪壽雪(みわじゅせつ 1910年2月4日 - )は日本の陶芸家。
1983年に人間国宝に認定された。本名は節夫。

略歴
山口県萩市出身。代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の
九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生する。
1927年旧制萩中学校卒業後、兄である十代休雪(隠居後は休和)を
助けながら伝統技法を学んだ。1941年に三重県津市に工房を構えていた
川喜田泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につける。
独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込み、召集令が出された1944年
以外は作陶の手を休める事はなかった。

1955年に雅号を「休」と称し作家活動を開始。
1957年日本伝統工芸展に初出品した「組皿」が入選し、
1960年には日本工芸会正会員になるなど、十代休雪と並び高い評価を
受けた。
萩焼の伝統を受け継ぎながらも独特な感覚による作陶を為し、因習的な
茶陶の作風に新たな展開を示した。
長石を原料とした釉薬を用いる伝統的な萩焼に加え、休雪が大成した
純白の藁灰釉による「休雪白」の作品を発表しているが、
特に後者は豪快かつ大胆な意匠と融合し大きな特色となっている。

1967年、兄の休雪の隠居後、三輪窯を受け継ぎ十一代休雪を襲名。

1976年紫綬褒章、1982年には勲四等瑞宝章を受章、
1983年4月13日に重要無形文化財「萩焼」保持者に認定された。
兄弟での人間国宝認定は陶芸界で前例の無い快挙であった。

その後も作陶への探究を続け、粗めの小石を混ぜた土でを原料とした
古くからの技法である「鬼萩」を自らの技法へと昇華させた。
2003年に長男龍作へ休雪を譲り、自らは壽雪と号を改めた。
土練機を用いず土踏みでの粘土作りを続けるなど、全ての作陶過程を
自らの手で行う事にこだわりを持ち、2007年現在も活動を続けている。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%A3%BD%E9%9B%AA" より作成

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もうちゃ箱主人