もうちゃ箱主人の日記
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ようやく夏らしくなってきましたね。 う〜む!暑い (笑)
毎日遊んでばかり!と勘違いされても困るので(笑) 私が今どんな研究をしているか、その一部をご紹介します。 あまり手の内をさらけだしても、問題なので ちょっとだけね…(^^;)
私が今 いろいろ文献調査しているのは 19世紀の典礼刷新運動として知られる「セシリア運動」 (Caecilianismus)とそれによるモーツァルト批判についてで ある。 「セシリア運動」は、わが国ではモーツァルト批判とからめて 論じられるのが殆どと思うが、運動はもちろんそれだけではない。 むしろ、モーツァルト批判はそのほんの一部でしかない。 そしてそれは、「行き過ぎたロマン主義」による誤謬と切り捨て られるのが通説になっているものと思われる。 今の時点で、セシリア運動を論じる意味は? これが最大の論点で、答えはまだみつかっていない。…(^^;)
目下の関心は、「ロマン主義」とセシリア運動の関係である。 セシリア運動は「行き過ぎたロマン主義」と評されるように 「ロマン主義」の落し子には違いない。 しかし、原理なき芸術運動と揶揄されるように「ロマン主義」の 内容は実に多様で、とらえようがないところがある。 「ロマン主義」の音楽といえば、一般に厚化粧の音楽のイメージが あるが、それがなぜパレストリーナ様式やグレゴリオ聖歌のような 簡素の極といえるものを模範と仰ぐセシリア運動を生み出したのか? さらに、セシリア運動自体、グレゴリオ聖歌にオルガン伴奏を付する という、信じられないような「愚行」を行っているのである。 大きな矛盾である。 しかし、そもそも18世紀「ロマン主義」の出発は、「古典に帰れ」 というものであったことを思えば、セシリア運動こそ純粋な 「ロマン主義」運動といえるのかもしれない。
またセシリア運動の絶頂は、1860年代後期 Wittによる 「全ドイツセシリア協会」の設立と考えられているが、その時 既に「ロマン主義」運動は、絵画においては印象派、音楽において はワーグナーの出現等、大きな曲がり角、退潮期にさしかっている のである。その時点が、なぜセシリア運動の絶頂となるのか? 1つの仮説は、世紀初め以来の運動がようやく一般に認知されて きた、というものである。 たしかに、目にみえる成果があげられた時には、その運動の精神的 成熟期は過ぎている、というのは、他の芸術運動でもうかがえる。 もう1つは……(これはまだ ヒ ミ ツ(笑))
〜ざっと、こんなことを考えているのであります。…(^^;)
もうちゃ箱主人
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