なんだか、最近は昔好きだった本のリバイバル大会です。 途中でうやむやにした本とか、何度も読んだけれど最近ご無沙汰だった本とかに再会しまくりです。 当時何が好きで何が不得手だったのか、変わっていたり変わっていなかったリを堪能しまくりなのです。
昔というほど古くないのですが、マリみても再開しました。途中で、タイトルが混乱してきてしまったのですが(コバルトは、今すぐ通しナンバーをつけてください。通しナンバーがあると一見さんがしり込みするからと聞いたことがあるのですが、そんなことより混乱を避けてください…)図書館に大量に有ったので、巻末のリストを見ながら進めてみました。 気がつくと、祐巳もお姉さまになっているし、祥子様は運転免許とっているし、志摩子さんは相変わらずかわいいし、花寺版としてで「お釈迦様もみてる」なんてやっているし……。なかなか愉快です。
そして、昔好きだったといえば、星新一。 古典です。 名作です。 なので、呼び捨てです。夏目漱石を夏目さんと呼ばないようなものです。 小学校の時、名古屋駅近くの塾に通っていましたが、「バス代」をつぎ込んで星新一を買い込み、読みながら歩いて帰ろうとして(10km近くありますがな)迷子になったのも潔い思い出です。あれは、「ノックの音が」だったか「声の網」だったか。 お金が足りないからと次会書店に行った時回しにしたら、未来永劫入手出来なくなった「竹取物語」は今でも「本は一期一会と思え」と私の散財僻を決定づけました。後で手放すのは、後で入手するのより遥かに簡単。 いつものように楽しい話を読もうとして、トラウマになるくらい泣いてしまった「人民は弱し官吏は強し」も、教科書で出会った「花とロボット」も、突然もう一度読みたくて探したものの……いや、「人民…」は再度読み切る自信が未だ無いのですが。
ない。 図書館に、ない。 ないことはないけれど、大抵の種類が名古屋市で1冊とか2冊。図書館に各一冊ではありません。 どういうことよーー。 衝撃でした。 いつでも、どこでも、読みたいときに読めるものだと思っていました。 サンリオSF文庫のは無理でも、新潮文庫版くらいは! あるものじゃないのか、普通。図書館の場所は有限です。でも、星新一くらいは……。ぶつぶつ 自分が読み返さなかった、長い年月を棚に上げて嘆きの海です。
市立図書館はあてにならん。 かといって自分で買い揃えた本はもう手元にないし。 中学の図書館にはまだ全集があるかも知れないけれど、さすがに在校生の振りは無理がある。 ということで、amazonでちびちびと買っては読んでいます。 このちびちび加減が初読の時を思い出して楽しかったりします。
読んでいて思うのは、すごすぎて、もはやすごくない。 実に普通の話です。 全自動芝刈り機、臓器ブローカー、インターネット通販、ネットでチェス対戦、喋る家電…… 実に、普通。 普通なんだけれど、よくよく考えると四半世紀から半世紀前の話です。 その未来図が普通の現在になってしまって、すごすぎてすごくない話のオンパレードです。さすがに、ところどころ現実としては無理があるのですが、基本SF設定ではなく人間を描いているのでまったく苦になりません。 そして美しい文章。 真鍋博の表紙のイメージが強かったのですが和田誠も実に素敵です。余談ですが和田誠はその後「お楽しみはこれからだ」でわくわくする映画へ、真鍋博は(途中経過をまったく覚えていませんが)眉村卓へと続く扉でもありました。 そして星新一は……
……今、Amazonで全集が私を誘います。 たぶん、このブームで半分くらい読み返したのですが、まだ読んでいない本も、再読していない話もあるはず。 今から四半世紀経って星新一が読み返せるのと読み返せないのとでは絶対楽しさが違うはず。 三万一千五百円。 よく考えれば、高くはない、高くは……………。 この機会を無くしたら後悔するはずです。 三万一千五百円。 正直、値段よりも「星新一の全作品を3冊にまとめてしまったので、転がって読むこともお風呂で読むこともまず無理」という装丁が私を躊躇させます。私が昔読んだ作品集ですら15冊くらいだったのに、さらに追加して3冊ってなんて無茶な装丁。 ああ、でも心が千々に乱れます……。 とりあえず、大型本を持って散歩に行く練習をしなくては。
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