ことばとこたまてばこ
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2006年09月28日(木) ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ

たとえばおれがなにか言葉を書いたとする
言葉に限らず写真、文、絵、演技をしたとする
そして
それを観てくれた様々な方からありがたくも感想や反応を頂いたとする
直接目の前で、メール、手紙、表情のちっとした仕草、やなんかでね
その前に
おれは社会的には音無し小僧であり
それは言い換えて聴覚障害者であるということ
その事実はとりあえず隠すことでもないので公言はしている
だがその事実が
観て頂いた方々にどれだけ影響を及ぼしたうえでの感想に反応なのか
それが
ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ

「・・・ぼくは、うたがへたなのも、しばいがへたなのも、じぶんでは、わかっては、いるのですね。でも、おきゃくさんは、はくしゅをくれます。なにか、どうじょうの、はくしゅみたいで、いやなのですね」
『無敵のハンディキャップ』 北島行徳

脳性麻痺を抱えているプロレスラー、サンボ慎太郎が言ったそう、だ
くつくつくつと細く長いうえかえしのついた
この言葉の針はおれの心臓に無数の穴を貫いてる
よくわかるのだ
よくわかりすぎるくらいにわかりすぎるのだ

作品を観たあなたがたの感想には
「『障害者にしちゃア』とってもいいわ」
見えぬけれども隠しきれぬ心情がありはしないか

なんつって偉そうな事を述べたけれど
実のところあっても全然ちっともかまいやしないのだ
おれだって他の見慣れぬ障害者の表現した作品を見ればまちがいなく脳裏をかすめる
そしてその障害者とちっとでも直に接してゆけば間違いなく薄れてゆくにきまっているのだ

かつ『障害者にしちゃア』などと思わせえぬほどに
圧倒的な完成度の作品を創りあげれば良い、という単純なこと

ただそれだけのことなんだけれども
理屈としてはわかっちゃいるのだけれども
その理屈をどのようにしたら良い方向へと考えられるのか
いま
ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ


そしてそれよりもいちばんに恐れていることは
おれと同じ障害を持っているはずだのに
「『難聴者にしては』とってもいいわ」
かつ
「『ろう者にしては』とってもいいわ」
といった心情があるんじゃないか
ということ
現在おれが写真という表現の道を選んだ今
これがいちばんとてもおそろしいこと

繰り返し引用させていただく。
「なにか、どうじょうの、はくしゅみたいで、いやなのですね」
それも最高に奇妙な。

貴方は難聴者か、ろう者か、健聴者か、だとか
発音がきれいだとか、きたないとか、
補聴器を使用すているからだとかしていないからだとか
手話が上手いからだとか下手だからだとか
そんな面倒臭い区別にとらわれ過ぎてしまって
『音が無い』者同士であるはずなのに
音無し者同士であるはずなのに!


そこいらへんの折り合いが
いま
ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ
本当にわかんねぇんだ


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