声優さんと映画とアニメと
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2007年10月07日(日) 太めだっていいじゃん(*修正)

今日は映画DVDを2本観ました。
まずはモリモリ吹き替え最新作10/5発売の1本から。

ファット・ガール/愛はサイズを超える(原題:Phat Girlz)
2006年/アメリカ 99分

出演(吹替版キャスト)
ジャズミン:モニーク(雨蘭 咲木子)
ミア:ジョイフル・ドレーク(岡本麻弥)
トゥンデ:ジミー・ジャン=ルイス(森川智之)
ステイシー:ケンドラ・C・ジョンソン(安達 忍)他


監督・脚本:ネジェスト・リケ 製作:ボビー・ニューマイヤー/スティーブン・J・ウルフ

アメリカでは知名度のある女性コメディアンモニーク主演の泣き笑いラブコメディ。
子供の頃から太めであることを悩みながらも、強く逞しく生きてきたジャスミンはデザイナー志望。
スリムでかわいい従姉妹のミヤと二人暮らしで、勤め先は大手デパートの婦人服売り場。
大きめのサイズのいただけないデザインに原を立てていたが、自分のデザインを売り込むチャンスがなかなか無い。そんな彼女の大親友は同じ売り場担当で同じ悩みを持つ引っ込み思案のステイシー。
そんな彼女達は、ダイエット食品の懸賞に当たって、豪華5つ星リゾートホテルでの滞在を楽しむためパームスプリングスにやってくる。
なんだかんだ言っても、太った自分たちに自信がないジャスミンとステイシーは、男漁りやる気まんまんのミアと違って気が滅入っていた。
そんな三人の前に、素晴らしい筋肉質で精悍な肉体のナイジェリアの医師トゥンデが友人と二人で3人に声をかける。英語もたどたどしい彼らだが、リッチで知性的なアフリカ男性である彼らは、母国ではジャスミンのような豊満な女性こそが美しいのだと言ってうち解けてくる。あまりに理想的でゴージャスな男の誘惑に、半信半疑。夢のような扱いを受けながらも、彼の言葉を素直に受けとれず、自分をついつい卑下して疑心暗鬼になってしまうジャスミン、はたして彼女は幸せになれるのか?

ビバ!ダマ&グレペア!!なんと森川さんと雨蘭さんのコンビ復活のラブコメ。
雨蘭さんがジャスミン(モニーク)の喜怒哀楽を激しくダイナミックに、まさにダーマがかなりハイテンションになっているときの雰囲気をずっと終始維持。そして約1/3あたりから登場するアフリカの色男医師の森川さんはグレッグの落ち着いているときの低音をずっと維持したまま、まじめで優しい色男声。英語を話せるがネイティブではないことから、すこしぎこちなく片言な雰囲気も残しつつの演技、時折仲間と会話するナイジェリア語も吹き替えでしっかり披露、それがなんとも色っぽい発音で聴かせてくれるので、かなりグット(死語だ)。
いやぁ・・・かなりな甘い誘惑囁きもあります(笑)出ずっぱりではないですが、要所要所で出てくるときはいい男全開モード。聴いていてニヤニヤしてしまいます。
共演の岡本麻弥さんは、こういう役が上手、安達忍さんもさすが、女性陣の吹き替えもコンビネーション最高に息が合っていました。

とにかく、最初は劣等感の固まりみたいになって、半ば自暴自棄になっていたジャスミンが、価値観の違う世界では自分は綺麗なんだとトゥンデに教えられる。最初はその言葉を信じられずに居た彼女が、どんどん自分を取り戻して前向きに生きようとチャレンジしはじめると、それまでは彼女達太めの女性をバカにしていた人に対しても、堂々と接することが出来るようになり、自分らしさを出して堂々と生きればいいんだと判ってくると、いつしか運も彼女にどんどん味方してくる、そういうハッピーなお話です。

太めということでは、私もかなり耳痛い身につまされる問題(外見もそうですが、成人病とかが危険ですし)。太めに悩む女性には、主人公が受ける、あからさまな発言などに、ちょっといたたまれなくなってしまう部分もあるかと思いますが、それでも勇気を持って見続けていれば、最後にはなんだか悩むのがばからしくなって、無理のない自然体の自分で生きることが一番美しい生き方なんだ、外見を取り繕うよりも、内面の心の美しさがあれば、自然ににじみ出る立ち居振る舞いが、その人を素敵に見せるんだなぁと、納得させてくれる。そんな作品。誰もが一度は陥るコンプレックスの問題を、結構ストレートに取り上げていて、賛否はあるでしょうし、個人的に総てを肯定するわけでありませんが、彼女たちのたくましさが羨ましくもありました。肥満に悩む女性は一度これを観て、思いきりモリモリ本気声に誘惑されてみてください、乙女ゲー並の快感かもしれません(笑)。


そしてもう1本はまったく毛色の違うマッチョ映画(笑)

スリーハンドレット(原題:300)
2007年/アメリカ 117分
監督 ザック・スナイダー
出演
ジェラルド・バトラー、レナ・ヘディ、デヴィッド・ウェンハム、ドミニク・ウェスト
ミヒャエル・ファスベンダー、ヴィンセント・リーガン他

スパルタの男は、生まれた時から戦えぬ者は淘汰され、幼少の頃から徹底的に闘う精神と技をたたき込まれ、戦士として育て上げられる。漢の中の漢として、若きときから素質を示し戦士の尊敬を勝ち取ったスパルタ王レオニダスは、土地と水を差し出せと、全面降伏を尊大な態度で迫る大ペルシャ帝国王ルセスクセスの使者を、全員井戸へ突き落とす。戦いの予感。100万のペルシャ軍の接近。神託を伝える妖艶な美女は、醜く老獪な神官達に、神託は降りず戦はならぬと告げる。そのため、スパルタ議会も出兵を拒否。それでも、レオニダス王は国と愛する者を守るため、死をも恐れぬ忠誠を誓う精鋭300人だけを引き連れ、膨大な人数のペルシア軍を、その知謀と腕力で迎え撃つしかなかった。やがて、圧倒的な数の差を地形でカバーする戦法を駆使しながらの壮絶なる戦いが始まる。

驚異の映像美、シンシティと同じ原作者のフランク・ミラーのアメコミ作品が原作。
撮影後から1年間映像の特殊処理に費やしただけのことはあって、暑苦しくも血みどろの肉弾ぐしゃぐしゃ戦争シーンが、まるで古代のオリンピックの再現映像を見せられているかのように、セピア色の淡い色調に汗も血もドロも、みんな綺麗に見せてしまうから、恐ろしい。しかも肉弾戦をスローモーションでこれでもかという見せ方、躍動する鍛え上げた筋肉の美しさと、切った張ったぶっ刺した、手が足がちぎれ首が飛ぶ残酷さとのコントラストに不思議な感覚を与える。観たことの無い映像に最初慣れるまでは息を呑んだ。とにかく凄い、動く古代絵巻を観ているようでもある。そして野郎共の雄叫びの洪水。すみません、主役をギロロ伍長が熱演しているらしいのですが、今回は原語で観ました。とりあえず、素の作品を理解したかったので・・・

史実としてヘロドトスが後世に書き残した伝説的な戦い。ギリシャの都市国家スパルタの王レオニダス率いるスパルタ軍300人、実際は協力国との混成軍は総数5千数百ぐらいは居たらしい。一方のペルシアの恐怖王ルセスクセス率いる100万の軍勢も、史実の伝聞では20万人ぐらいだったらしい・・・なのですが、それでも圧倒的な数の勢力差のある、血みどろの戦いだった事には間違いが無いようです。
そんな語り伝えられている史実を、思いきりCGアニメの様な世界画像で描いた作品です。

いまでも厳しく子供に仕込むことをスパルタ式教育と形容されるほど、歴史的にもスパルタの戦士は凄かったに違いないです。劇中身震いしたスパルタ王の言葉が、100万人の奴隷よりも戦いを生業とする300の精鋭の方が優秀だと、そしてまさしく言葉のとおり、殺して殺して殺しまくります。
とにかく、腹筋が8個に割れてるマッチョでガチムチの筋肉の塊なギリシャ軍のお兄さん&おじさん達が、剣と槍と大きな丸い楯と兜の他は赤いマントとビキニパンツ一丁で、怪しげなアジアの妖気まとった、圧倒的な数のペルシア軍を相手に、延々と切った張ったの肉弾戦を繰り広げる、血湧き肉躍る男の世界。男女問わず、乙女なハートの人には刺激が強すぎるかも、そして文系だけで生きてきた人だと、この突撃精神は理解しないかも。
体育会で、しかもチームで幾多の試合をして来た人、たとえばラグビーやアメフトなんかやってる男性などは特に、あのスクラム組んで押し合い倒し合う感覚が蘇って、心が打ち震えるほどに好きかも知れません。
私はバスケでしたが、この迫り来る無数の敵を前にして、密集隊形で一糸乱れぬフォーメーションと獅子奮迅の精神で一丸となって迎え撃つシーンでは、やっぱり心が震えました。最後は涙が止まらなかったですし・・・
なんかとにかく体育会系の映画だと思います。(笑)

映画的には、主人公のジェラルド・バトラー、こんなマッチョだったっけ?とびっくり、そして指輪物語では悲劇の王子ファラミアのデヴィッド・ウェンハム、アップ多用なのはきっとそれほどマッチョじゃないからだと、遠景ではプレミアライブの森川さんよりもずっと腹筋割れて映っていましたが、これは後付CG加工かも、だってアップでは森川さんの半分ぐらいの筋肉感だったので・・・(どんな例えだろう、笑)
ただ、このファラミアもといデヴィッド・ウェンハム君はこの伝説の語り部としての役割のため、始めから最後までずっとモノローグなナレーションで喋りまくり。こんなにハスキーで迫力有る低音ヴォイスだったっけ・・・と指輪の吹き替え担当の宮本充(*)さんの声を思い出すとギャップあり。
今度吹き替え版を観てどんな仕上がりか確認したくなりました。


まいける2004 |簡易メールシルバーナの船室(コラム)

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