今日のおたけび または つぶやき

2014年01月15日(水)  あの頃にしか書けない詞



日曜日のトーキングFMでもおっしゃっていましたが、


福「『Girl』(1992年の曲)をセルフカバーしたじゃない?  (『Girl 2012』としてステキに再生なさった) 

  ああいう歌詞、もう書けないな、と思うわけ。

  『Dear』ももう書けないです。自分にはもう書き下ろせない。

  アミューズの後輩の春馬とか健とかにラブバラードを、ということになったら、作家としては書けるけれど。

  このもうすぐ45歳になる人間が ♪遠く遠くはなれているから、君が愛しくて♪ (『Dear』)とは、

  たぶんもう思わないかもしれない。ちょっと違う感覚になる。もうちょっとしみったれるというか。

  いやもうこれは書けない」




それは自然なことだと思うのですよ。

年を重ねていくと、経験が増え、それとともに知識が増え、語彙も増え、

ものの見かたも考え方も広がっていく。

当然、表現する内容も増え、表現方法も多様化していく。

もちろん、その頃の引き出しを開ければその頃の自分のことを思い出せるし、

その頃の想いもちゃんと残ってはいるだろうけど。




2012年の感謝祭では初期の激しいロック「BLUE SMOKY」(1990年)を

えらくカッコよく蘇らせておられましたが、今回の感謝祭では

『天使の翼にくちづけを』(1991年)と『Running Through The Dark』(1991年)を、

これまたどんでもなくクールにステキに蘇らせておいででした。



これについてたまラジのリスナーからは


 
 「44歳になったましゃが

 ♪激しく何度もくちづけを 激しく何度も抱いてくれ♪ (『天使の翼にくちづけを』)と

 歌ってくれるのはとても新鮮で刺激的でした。

 今のましゃはこんなとんがった歌詞は書かないのだろうな、と勝手に思っているので、

 とても貴重でした」という感想があり、激しく同意。




これに対し、

福 「『激しく何度もくちづけを 激しく何度も抱いてくれ』という歌詞はたぶんもう書けないですね。」

荘 「もし書こうとすると・・・」

福 「それに対しての気遣いが出てくるから(書けない)。くちづけしてくれたらこっちも何かしなきゃ、とか。」

荘 「なるほど。ひとりよがりのぶちゅー!!みたいのはもうできない?」

福 「できない。」

荘 「抱き寄せてぐわーっ!みたいな、オラオラ系がもうできない?」

福 「できないできない。」

荘 「そりゃ歌詞の質も違ってきますね」

福 「だって正直なこと言ってもいい? この歌詞を書いた当時もできてなかったからね。」

荘 「ああ。やってることを自分の歌詞に落とし込んだわけじゃないわけですね?」

福 「だってほら、一応ワルのイメージで売り出してたからね。本当はそうじゃなかったけれど。」

荘 「特に最初の頃はね。」

福 「今二十歳のリスナーが生まれる前の曲だから、それを気に入ってくれるのはとても嬉しい。

  今後も(古い曲のお色直し)やっていきますよ。」




「こんな歌詞はもう書けない」と言われるとちょっと寂しい気持ちになったりもしますが、

でも、ステキな作品はずっとステキな作品として生き続けるし、この先も、

それを初めて聴く人にとっては新曲なわけですから、

時代の変化を感じながらも深く共感し、感動する人は続いていくのです。




そう考えると、「もう書けない」なんてことは全然寂しいことじゃなくて、

若いころのましゃが、あの感性を持ち、それを存分に表現し残せていたということが

何よりも素晴らしいことだったな、と。



それを、四半世紀近くミュージシャンとしての実績を積まれたご本人自らが、

当時の若くて青いヒリヒリ感をさらに鋭くカッコよく表現なさるというのは、もっと素晴らしい。




トーキングFMでは、

二十歳の頃の自分を振り返って、芸能人としての仕事もほとんどなくて、

バイトでつないでいた頃のことを思い出してこうおっしゃっていました。



福 「あの頃は何者でもなかった。

  でもそれはそれで自分にとっては甘酸っぱくも、まぶしい、いい時代だった。

  東京で自由気まま、勝手気ままに生きていた時代。

  僕にとっては東京の思い出というのはその時代しかない。

  東京に出てから『ひとつ屋根の下』までの3、4年間くらい。

  そのあとは東京は完全に『仕事場』になってしまったから。

  
  その頃の街の匂いとか、雑踏とか、雑踏から見上げるビルの谷間の四角い空とか、

  ビル風とか、明け方のカラスとか、ある意味、僕の青春はそこくらい。

  あとはもう仕事場のスタジオにばっかりいる感じ。

  ・・・なんかつまんない人生みたいな感じになってきたな。

  話してるとなんだか寂しくなってきちゃったじゃない。」




ましゃの口から

 「その頃の街の匂いとか、雑踏とか、雑踏から見上げるビルの谷間の四角い空とか、

 ビル風とか、明け方のカラスとか、」


という言葉がさらさらと出てきて、

雑踏の中に佇む何者でもなかったましゃの姿を、まるで今、目の前に観ているような気がしました。



普通の会話なのにとても詞的に聞こえて、

まだ聞いたことのないましゃの初期の曲を、あらたにひとつ聞いたような気にさえなりました。



今の44歳のましゃの中には、ひょっとしてあまりに多くのものが積み重なって

その一番下の下敷きになってしまっているのかもしれないけれど、

その頃のみずみずしい感性はまだしっかり息づいていて、ましゃの根幹を支えているのだなぁと、

なんだか妙に感動してしまったのでした。



しゅてきだ。






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