昨日のMステの余韻も覚めぬまま、anan3月7日号のましゃインタビューの続きです。
ーー恋をして性格が変わることはあると思いますか?
福「あると思いますよ。その状態を世間では『色ボケ』と呼びますよね(笑)。
恋愛で多幸感や心の平穏を得たことで、人に対しても優しくなれるんでしょうね。
でもね、そんなのは一瞬ですよ。」
ーーそんな吐き捨てるように。
福「幸せの感覚は点でしかないと思うんです。瞬間瞬間の点を集めて、それを線につなげていけば
いいのであって。幸せというものを、掴んだ! と感じた瞬間から未来永劫続く線だと思うから、
それを手放したくないあまり、例えば悪い方向に転ぶと、人はストーカーになっちゃったり
するんじゃないでしょうか。極端な例ですが(笑)。
僕は田舎で育って、親戚縁者も多くて、子供の頃から人の死をたくさん見てきたからか、
けっこう刹那的ではあるんです。人生に期待しすぎず、まあ、そこそこでいいかなと思っている。
僕は僕なりに根暗だし、ネガティブ思考だったりします。でも暗くなきゃ、詞は書けない、と
思っているから、暗くて良かったと思ってますけど(笑)。
そもそも何かの表現を志すような人間は、日常生活の中で思っていることを出しきれていないんだと
思います。うまく喋ることができなかったり、対人関係に問題があったり、どうしても社会を
斜めから見てしまうとか。ネガティブな要素がありまくりな自分のバランスをとるために、
たまたま歌や芝居といった表現方法を手にした人たちなんじゃないかと。」
ーー福山さんもですか?
福「僕はそうではないと思ってきましたし、いまでも社会性はあると思うんですけど、
スタッフに言わせればバランスは悪いようです(笑)。」
ましゃのこの「幸せ」の捉え方は、ノーシングル曲の人気投票で4位を獲得した『幸福論』の歌詞にも
よく表れています。ほんと大好きだこの曲。
表現者を志す人についての洞察もすごく的確。
以前もラジオで、自分が女の人に臆面もなく『愛してる』なんて言える人間だったら、
こんなラブソングなんて書いてない、言えないから歌にするんだ、と
おっしゃっていたことがありましたっけ。
「表現者」と名乗れる職業は、かなり憧れの対象となると思うのですが、
ましゃの「表現者を志すような人間」の定義はなんとも謙虚ですね。
「ネガティブな要素がありまくりな自分のバランスをとるために、たまたま」って。
きっかけはどうあれ、いまやプロフェッショナルな表現者として憧れの的でいらっしゃいますが、
こういう発言が、いつまでも敷居の低さを感じさせてくれて、嬉しくなっちゃうのだな。
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