| 2008年06月18日(水) |
コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」17日昼 |
楽しかったー。
一足お先に夏祭りを堪能させていただきました。
最近、楽しかったー、とか、面白かったー、とか、表現がいっつも同じで申し訳ないです。
ま、面白く思えなかった作品や舞台なども今までも色々あるわけですが、なんと言うか、
「面白くなかった」ことをわざわざ語る時間がすごくもったいなく思えてきまして。
その残念さをくどくどと語ったところで、残念だったことが素晴らしく変わるわけでもなし。
とはいえ、執念深い人間なので「なんじゃそりゃ!」とアツく語りたくなってしまうことはあるのですが。
でも、素敵な作品の素敵さを反芻していた方が心にも身体にもいいし、何より幸せな気持ちでいられます。
で! わたしにとっては昨年に続き2度目のコクーン歌舞伎です。
歌舞伎っていいなー。素敵だなー。
数少ない観劇経験しかありませんが、観る度にそう思います。
これまた全く下調べも何もせずの観劇でしたが、本当に楽しい日本の夏祭りでした。
席を探す客がまだ通路のあちこちでうろうろしている頃から、
祭り姿の役者衆も通路を歩き出し、客とふつーにすれ違ったり道を譲ったりしながら、
どんどんお祭りっぽい雰囲気になってくるのです。お囃子が聞こえ始め、喧嘩も始まったりして、
それを2階席まで来た若者衆がうちわ振り回して大声で野次ったりして、楽しいったらありゃしない。
うわーい! 祭りだ祭りだー! と、いやがおうにも気分が高揚する、見事なつかみでした。
そんな夏祭りの頃、オトコマエで粋な男たち女たちが入り乱れ、
義理だ人情だ任侠だと、濃いにもほどがある人間模様を繰り広げ、
あげくのはてに親殺しから大捕物への大騒ぎとなり・・・というお話し。(またしても雑すぎる説明)
最後に舞台の背面がぱっかーんと開いたかと思うと、(その奥はリアルに東急の駐車場)
落書きだらけの壁をぶち壊して駐車場突っ切ってふたり(勘三郎と橋之助)が逃げていくのです。
で、また駆け戻って来たと思ったら背後からド派手にサイレン点滅させたパトカーが突入するのを観て、
ああ!これを海外公演(ドイツとルーマニア)でやったのね! と初めて気づく素人っぷり。
でも、初めて観る者にとってこの演出のインパクトは本当に凄まじくて、
感動でまたちょっと涙ぐんでみたり。(簡単に泣きすぎです。)
と申しますか、派手な舞台装置を駆使した舞台なら、いくらでも観てきているわけですが、
それだけじゃなくて、まず言葉遣いから身なりから身のこなしから、長い長い伝統に裏打ちされた
上質のお芝居を堪能させてもらった上での、さらに伝統をうちやぶったこのありえないほど
ド派手な演出なわけですよ。
舞台人の心意気、役者衆の心意気に、そりゃ涙ぐみもするわってものでございます。
いやもう、本当にどのキャラも魅力的。
勘三郎の後半の大立ち回りは、なんで息切れないの?と思うほどだし、
笹野高史氏なんて失礼ながらもう還暦を迎えられるというのに、泥池に頭まで沈められて殺されている。
(人ひとり縦に沈められる泥池を舞台の真ん中に設置。パンフによると、絵の具じゃなくて本当に陶芸用の土を
溶かし込んだ泥水を作っているそうな。このシーンでは当然前列や花道脇の客は頭からすっぽりレインコート着用。)
橋之助は不器用なまっすぐさをとても清清しく演じてみせてくれる。(そして舞台役者さんは
このくらいのお顔の大きさがあった方が遠目にもはっきり見えて嬉しい。←よけいな感想だ。)
そして、勘太郎のヤクザの女房と七之助の傾城(遊女)が、どちらも凛として綺麗でしゅてきでー!
去年のコクーンでもうっかりこのふたりには惚れそうになりましたが、今回もふたりまとめて惚れそう。
歌舞伎の女形の美しい身のこなしを観るたびに、これではイカン自分! 女としてイカン! と
思うのですが、劇場を出ると忘れてしまうトリ頭。(だからトリに失礼。)
祭囃子や大捕物のシーンなどでは、
鳴物連中や和太鼓の皆さんがすだれを開けて、演奏中のお姿を見せてくれたのですが、
なんと心揺さぶられる横笛の鋭い音色、大迫力の和太鼓でしたことよ。
この演奏だけで充分にひとつのステージです。どんな楽器の音も唄の声も、全部生ですから。
歌舞伎って本当に贅沢で上質な、素晴らしい文化ですね。
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