せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年05月15日(月) バイキン様の一件と庭いじりの手伝い

先日の日記にも書いたが、ワタシのコンピューターはここ数週間バイキン様にまみれていて、大変心苦しい限りである。

色々といじっているうち、とうとう「ウィンドウズ様」がうんともすんとも言わなくなってしまったので、止む無く「ハードドライブのリフォーマット」に出す事にした。しかし返って来たそれには、相変わらずの古いデータがそっくりそのまま残っており、金を払って人に仕事を頼んだ意味が無いので、何故言った通りにやらぬのだこの馬鹿たれめ!と忌々しく思う。

しかしウィンドウズ様は一応起動するようになっていたので、一先ず良しとして、「各種ソフトウェアのリインストール作業」に取り掛かる。

これがまた、えらく時間の掛かる作業であった事を、やり始めてから思い出す。

例によって、ワタシの自宅は「ダイヤルアップ仕様」であり、またメモリーが恐らく今時のXPにしては少々遅過ぎると見え、幾つかのソフトウェアを同時進行で使おうとすると、すぐさま固まってしまう。

埒が明かないので、ある日オフィスへ持ち込みそこでデジタル回線に繋いで、各種ソフトウェアのダウンロードをたったと片付ける。大きいファイルのダウンロードなどをするには、やはり回線が早いに越した事は無い、と少々心惹かれるが、これを自宅へ導入してしまったらそれこそ噂の「ヒキコモリ」というのになってしまいそうなので、ぐっと堪える。

しかし帰宅して繋いで見ると、やはり「ヴァイルス」というか「スパイウェア」は、まだ存在した。

こいつはウェブページを勝手に書き換えて全く違うサイトへ連れて行って(「リディレクト」して)しまうのである。新たに搭載したソフトウェアが弾き出してくれるのだが、懲りもせずにそのうちまたやって来る。正に「いたちごっこ」である。

どこかに「穴」がある筈なのだが、それを閉め切るだけの技術がワタシに無いらしいのは、大変口惜しい。

お陰でここ数日、コンピューターに感染したバイキン様がまるで自分の身体に憑いたみたいに、ソフトウェアが感染を知らせるアラームを鳴らす度に、どき!とする。心なしか、本来の体調で無いような気もする。それにこの作業にはスキャンだとかダウンロードだとかに時間も掛かるし、コンピューターを立ち上げ直す事も多いので、苛々する。全く金でも貰わなけりゃやっていられない、と癇癪を起こしそうになる。

どうにかしたいのは山々だが、しかしここのところコンピューターの世話ばかりで本来業務的作業に大幅な遅れを来している。甚だ不愉快ではあるが、ここは「アンタイヴァイルス&スパイウェア・ソフトウェア」各位にしっかり仕事をして頂くという事で手を打って、ワタシはそろそろ溜まった作業に戻る事にする。


それは大いに溜まっている。小旅行に出て帰って来たと思ったら「ヴァイルス騒動」で、ここ一ヶ月程の間殆ど仕事らしい仕事をしていない。全く不味い事になっている。やらねば。何とかせねば。



ところで先日は、例によってヴォランティア活動の一環で、ある「市民公園の整備」というのに出掛けて来た。ここはワタシが良く活動しに行く市営公園とは別のところなのだが、どちらも下町にある、市民の皆さんの憩いの場である。

しかし実際行ってみて分かったのは、それは実はヴォランティアを募った「エージェント」である「ご近所にお住まいの伊太利亜系移民中年夫婦」が、彼らの好きで始めた二十年来の「庭仕事」であり、今では一応市当局の管理下に置かれている事になっているけれども、それは要するにその夫婦の「庭」であった。

だから我々ヴォランティアが彼らの指図通りに作業をしてやっても、彼らが気に入らなければ後で如何様にもやり直し(植え替え)をして、結局は彼らの好きな庭に仕立て上げる、という事である。我々は単に「人足」であった。まぁヴォランティアは本来その通りなのだけれど、何だか腑に落ちない。


ワタシは少々遅れて着いたので、時間切れで手が回らなかった作業の「居残り」を引き受けて、終了後に暫くその夫婦と一緒に作業をした。彼らとお喋りをしながらやっているうち、そろそろ遅い昼飯にしようという話になったので、彼らのお気に入りらしい「マレーシア料理」の出前と食後に果物をご馳走になった。

いや、ワタシは自分の昼飯代は払いますと言ったのだが、いいから気にするなと言うので、お言葉に甘える事にしたのである。


「長居し過ぎたかな」と思ったのは、昼飯の後片付けをして、「ではワタシはそろそろ失礼しようと思いますが、まだやる事はありますか」と聞いたところ、旦那の方が先程植えたなんとかいう種類の花を少し植え直すつもりだ、と言い、それからお別れを言うタイミングを計りかねたワタシがとりあえず夫婦と共に「庭」の方へ戻って行く途中で、奥さんが現地語訛りの伊太利亜語で何やら旦那に話し掛けた辺りである。

「外国人」である旦那が彼の母国語である伊太利亜語を喋り始めたのなら、ワタシも聞き流しただろう。しかし奥さんの方が比較的不得意な筈の伊太利亜語を、それまでずっと現地語で通していたところへ突然喋り出したので、おやと思った。すると、別に早く帰ってくれっていう意味じゃないんだけれどね、と奥さんが言い訳をしたので、わざわざそう言うという事は、それはやはりワタシに聞かれると不都合があるという事か、とふと思ったのである。

ワタシは急いでお礼を言って、その場を立ち去った。



こういうタイミングというのは、判断が難しい。

日本でも、どこかの地方では例えば「うどんでもいかが」だったか、滞在先でそのような事を言われたら、もうそろそろ帰っておくれの意と解して「おいとま」するものだ、などと言うのを聞いた事がある。

しかし親しい間柄ならば兎も角、初対面では「社交辞令」と「本音」の区別は中々付き難い。気を使ったつもりでも、相手には逆に無神経なやり方だと思われる事もあるだろう。

そんな事を一々気にしていたらやっていられないのだけれど、ものをはっきりと口に出して言う文化に慣れたワタシは、偶にそうでない人々と出会うと、戸惑う。



毎月一回のプロジェクトだと言っていたが、多分もう行かないと思う。

他にもっと仕組みの明瞭なプロジェクトは、幾らでも有る。それに、「公共の施設の整備」を手伝うのと「他所んちの庭の手入れ」を手伝うのとでは、話が違う。



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