せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年04月21日(金) 二の腕問題

昨日は、某所へ小旅行に出て以来、久し振りにヨガレッスンに出掛けたのだが、お陰で今日は少々筋肉痛である。

その後同様に久し振りの食料品の買い物にも出掛けて、全粒粉のコーンフレークと豆乳を買って来た。これで気持ちばかりは「ダイエット」に励む積りである。

というのも、実は先日結婚した友人らが雇った写真家が、式の際撮った写真を早くもネットで観られるようにしたからいけないのである。お陰でワタシはそれらを観ながら、ワタシのあの「二の腕の有様」は何とかならないものなのか、とつくづく思い知らされる羽目になったのである。



冠婚葬祭、特に結婚式というのは、「(本来)一生もの」であるから、人々は大変気合を入れ、めかし込んで参列する。

数年前、友人の結婚式及び披露宴に招かれた際、ワタシは既に国外で暮らすようになって久しく、日本の流行に大変疎い暮らしをしていた。それは今でもそうなのだが、加えて当時は大変忙しい日々を送っていたので、着る物や付属品などについて余り深く考えず、有り合わせの物を取り纏めて「兎に角遠くから駆けつけた」というような有様になってしまった。

それはそれで悪くは無い筈なのだが、しかし後から写真を眺めてみると、少々恥ずかしかった。あれでは誰の目にも「身支度に構っている暇なんかありません」と、まるで女を捨てたような侘しい暮らし振りがにじみ出ていたように思う。

しかも、ワタシは披露宴での「スピーチ」を頼まれていた。

何しろ日本語でスピーチなんて何年もやっていないのだから、それ自体相当厄介なのだが、この友人は余り手際が良くなくて、メールで一言「スピーチお願いね」と言ったきり、その詳細を知らせてくれなかった。

だから当日司会者が「お客様、この次の次にスピーチをお願いしておりますが」とこっそり話しかけて来てくれるまで、ワタシは実はその事をすっかり忘れていたのである。仕方無く、その司会者に「他の人々はどういった内容で何分喋る事になっているのか」などと尋ねて、その場で大急ぎで取り纏めた「ぶっつけ本番」をやった訳である。

しかし人前に立つのなら、やはり身なりにはもう少し構っておくべきだったろうと思う。こういう時には、無いなりにも「ゆとり」を見せなければならないのだ。事に「見かけ」に人一倍気を使う二ホンジンの集まりなら、尚更である。


話が逸れたけれども、兎に角そういう訳で、今回の結婚式に参列するに当たっては、ワタシは出来るだけ「今様」のものをあつらえて行かねば、と気を配った。数週間前から時風に合った好みのドレスを選んでおいて、数日前には試着をしに出掛けていた。

しかし生憎ワタシのサイズに合ったものがその店舗に置いていなかったり、他所の店舗へ「ハシゴ」して漸く着てみたら、今度は身体に沿わないとか素材が印象と違うとかいった色々の困難があり、ワタシの買い物は一日で済まなかった。またひとたびドレスを選んだら、今度はそれに合う靴やバッグやアクセサリーなどを探しに街中走り回る羽目になり、特に出立前の二三日は大変慌しかった。

結局、春の海辺の町に合うように、と紺色の肩の出たドレスに銀色の靴とバッグ、という風にした。ここのところ忙しさにかまけて運動も碌にしていない身体でもあるので、「この際だから腕はすっかり出してしまった方が、太さが気にならずに済むだろう」という計算もあった。

しかし実際現地に行ってみたら、花嫁の母が自分用と娘用に「現地風の服」を買うのだと張り切っており、しかし当の娘が「そんなの要らない」と無下に言うので、それならば友人であるワタシに買ってあげる、と仰るので、折角だからと有り難く頂いてそれを一緒に式で着る事にしたのである。

こうしてワタシの大忙しの買い物の日々は半ば無駄に終わってしまった訳だが、まぁそれはそれで楽しかったから良いとして、しかし、ワタシの計算に基づいたドレス選びは結果的に意味を成さず、「可愛い」とか「綺麗な色合い」とかいった理由で選んでしまった「現地風の服」は少々都合が悪い、という事が後に分かる。

その服は、本来肩を落として着る用に、襟と袖回りにゴムが入っていた。

ところがワタシは前日袖無しで外を歩いているうちに、所謂「土方焼け」という奇妙な焼け方をしてしまったので、「オフショルダー」にするのが憚られた。仕方無く、焼け跡が目立たないように「肩部に布がへばりついた半袖ドレス」的に着ていたのだが、しかしそうするとその「袖」が切れる辺りが丁度二の腕の一番太い部分に差し掛かってしまって、大変不都合であった。

「土方焼け」を晒すか、「太い二の腕」を晒すかのどちらを取るか、という「苦渋の選択」問題で、結局ワタシは二の腕を晒す決断をした訳である。

これが写真に残ってしまっている、というのはつまり、結婚した当人らに取って「一生もの」であると同時に、式に来られなかった友人らもその写真屋のサイトにアクセスして閲覧が可能な為、「誰の目にも明らかなワタシの太い二の腕問題」が正に周知の事実となってしまった訳である。

「**ちゃんは、外国暮らしでも一向に太らないわねぇ」と言われ続けて来たのに、ここ一二年のワタシは、特に酷い。「確実に代謝率の落ちた三十代女性」の典型例である。

「忙しい生活」というのは、それが若い頃なら、一寸運動しないで徹夜だの不摂生だのが続いたところで然したる影響は無いけれども、三十を超えると途端に体型に響いて、只の「怠惰な生活」に成り下がってしまう哀しさがある。やはり、「苦労」は若いうちにするのが良いと思う。



ところで「若い」で思い出したが、先日ある友人から、久し振りに電話が来た。

彼女とは誕生日にスキーツアーに行く予定をおじゃんにされて以来、特に連絡を取り合っていなかったのだが、例の遠距離恋愛中のボオイフレンドを通じて、ワタシも拠所無い事情によりほんの少しだけ知り合いである若いオトコノコがワタシの電話番号を知りたいと言って来ているのだが、教えてしまっても良いか、と言って来た。


あら。

そういえば去年の秋頃は、何故だか若いオトコノコたちと縁があったのだったわ、と思い出す。

ワタシとしては、出来れば似たような年頃のオトコノコの方が話題が合って好ましいと思うのだけれど、生憎そういうのがそろそろ周りで見掛けなくなって来た今日この頃では、一寸若い世代でも、この際贅沢は言えまい。

しかし「一寸」と言っても、彼くらいの年頃だと「ほんの十年前だったら完全に犯罪行為」の筈だから、些か気が引ける。



ワタシが一寸目を放した隙に、丁度良いお年頃のオトコノコたちは、一体何処へ行ってしまったのだろう。

ワタシはまだ此処にいるのよ?


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